ハラン堂の石仏(板橋区赤塚)
板橋区赤塚3丁目近辺の昔の小字名は「原」であった。江戸時代は上赤塚村原、南東にある六道の辻辺りから北側の地域にあたる。この辺りは赤塚台地上の広い平坦な地域で、上赤塚村と下赤塚村の村境にもなっていた。この原という地名が今も残るのが「ハラン堂」と呼ばれる墓所である。
墓所に入ると中央にあるのが古い板碑型の庚申塔。造立年は元禄14年(1701)2月である。高さが93㎝ある大きなもので、中央に「奉納庚申供養二世安楽所」とあり、上部に日月、下部に蓮華、台石に三猿が彫られている。「武州豊嶋郡上赤塚村 施主 並木与左衛門」以下11名の銘がある。
隣りにあるのは丸彫の地蔵菩薩像。こちらは明和6年(1769)2月の造立で、「武刕豊嶋郡上赤塚 施主 下田喜三郎」の銘がある。台石も含めると2mほどの高さがある。このハラン堂は正式には「原堂墓地」といい、ここから600mほど北にある寺院の管理となっている。
ハラン堂から100mほど南に二塚供養塔という塚がある。古い墓塚らしい。室町時代に赤塚村で大きな戦いがあり、この場所に武者の亡骸や馬の死骸、弓や矢等の武器が打ち捨てられていたのを見た村人が二つの塚を作って弔った。現在はその片方のみが残っており、供養碑が建てられている。
場所 板橋区赤塚3丁目15-16
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