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2020年11月30日 (月)

目白不動金乗院の石仏(1)

目白駅で山手線を跨線橋で交差して渡る目白通りは神田川の河岸段丘の崖上に走る清戸道という古道である。目白通りから南側はすべからく急坂で、椿山荘まで名坂がまさに目白押し。最も急峻なのぞき坂から東に進むと次の坂道が宿坂。宿坂は江戸時代以前の街道で宿坂道と呼ばれ、宿坂の関という関所もあり、なおかつ竹木が生い茂る昼なお暗い道だったと伝えられている。

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上の写真の宿坂沿いにあるのが金乗院の不動堂(目白不動)。金乗院の創建は織田・豊臣時代の天正年間(1573~1592)、目白不動は戦前は椿山荘の先にあったが、戦災で焼失したため戦後ここに移された。その金乗院には沢山の石仏がある。

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山門は本堂とは90度向きが異なり、宿坂側にある。山門左手前の地蔵菩薩半跏像は江戸時代の富裕層の墓石だろうか、台石にはいくつもの戒名が彫られ、宝暦年間(1751~1764)、享保年間(1716~1736)、正徳年間(1711~1716)などの享年が刻まれているので、宝暦年間後半の建立と思われる。門の右手にあるのは不動明王像で台石には、享保6年(1721)9月の年紀がある。目白不動と共に移されたものだろうか。

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本堂と目白不動の間に崖上の墓所に上る階段道があり、その周りに沢山の石仏が並べられている。まず目白不動堂脇の2基の庚申塔だが、左の角柱型庚申塔は元禄5年(1692)11月の造立。上部に日月、中央には「奉待念庚申一座」と彫られており、下部に三猿が陽刻されている。右の庚申塔は舟型、延宝5年(1677)8月のもので、上部に日月、中央には「庚申塔信心衆」と刻まれる。下部には同様に三猿が陽刻されている。

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次に階段の左手にある大きな擬宝珠付きの笠付角柱型庚申塔は、日月、青面金剛像、三猿が描かれており、側面には二鶏が陽刻されている。正面右に「奉待念庚申講一座二世安楽所」とあり、左側には寛文8年(1668)5月の年紀がある。青面金剛像のあるものとしては最初期のものだろう。右の舟型光背型の地蔵菩薩立像は寛文10年(1670)10月のもので、「奉供養地蔵二世安楽所」と書かれている。

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階段道の右側を見るとこちらも大きな擬宝珠付きの笠付角柱型の庚申塔。上部に日月、下部には前左右面に合わせて三猿がいる。中央には「奉建立庚申塔婆二世安楽攸」と書かれ、造立年は延宝4年(1676)4月とある。並びには供養塔を挟んで、もう一基の角柱型庚申塔があり、下部に三猿が陽刻、正面には「奉信敬庚申禮三年講結衆諸願成就」と書かれる。造立年は万治2年(1659)11月である。

場所  豊島区高田2丁目12-39

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