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2020年12月 1日 (火)

目白不動金乗院の石仏(2)

金乗院にある目白不動尊脇の階段を上ると墓所への鉄扉があるが、その先にも石仏は並んでいた。また墓所の奥には丸八忠弥の墓がある。丸八忠弥といっても知る人はほとんどいないが、水道橋駅北東にある都立工芸高校と名門女子校桜蔭学園の間の名坂、忠弥坂のその人である。慶安事件(1651)は油井正雪が倒幕を企んで失敗した乱で、首謀格だった忠弥が江戸城を襲って将軍を誘拐し、京都では正雪が天皇を誘拐するという驚くべき計画だった。未然にバレてしまい、忠弥は死刑、正雪は捕まる前に自殺してしまった。

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鉄扉の奥には、不動明王像と如意輪観音像が並んでいる。不動明王像は文字が何もなく年紀等全く不明。舟形光背型の如意輪観音像は延宝8年(1680)5月の造立で、上部中央には「奉建立」、右側には「観音菩薩尊像」と彫られている。

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坂を戻り、目白不動に登ってみるとそこには10基の地蔵菩薩が並んでいた。どれも年紀等は分からないが、左から2番目から7番目まではひとまとまりの六地蔵である。一番左の大きな地蔵菩薩にはうっすらと元禄17年(1704)と読めた。おそらくはどれも江戸時代前期から中期のもののようだ。

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本堂前に戻ると、そこには倶利伽羅不動庚申があった。見事な倶利伽羅不動で龍が剣を飲み込もうとする姿は迫力がある。下部には三猿が描かれており、造立年は寛文6年(1666)2月とあるが、この見事な倶利伽羅不動は戦前は関口の目白不動尊にあったもので、不動尊と共に戦後金乗院に移されたものである。富山県、石川県の県境にある倶利伽羅峠も有名で、1183年に源平の戦い(倶利伽羅峠の戦い)があったところである。

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さらに本堂左手の植木の脇にも庚申塔が一基ある。駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。「小日向水道町 上野屋」の銘がある。造立年は見当たらなかったが、摩滅が酷いので消えてしまったのかもしれない。古道の坂道、目白不動、という条件からいろいろなものが金乗院に集まってくる何かがあるような気がしてならなかった。

場所  豊島区高田2丁目12-39

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