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2020年11月10日 (火)

三畝院墓所の石仏(板橋区赤塚)

野口の庚申様、ケヤキ株横の庚申塔と旧道を南西に歩いていくと100坪ほどの墓所が現れる。裏に回って入口を見つけたが、施錠されていて中に入ることはできない。仕方がないので、外から厳しい角度で撮影することになった。三畝院の由来については分からない。

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門扉の右方向に古い石仏が並んでいる。野ざらしなのでゼニゴケが凄い。5基あるうちの最奥は舟型の庚申塔で、日月、青面金剛像、二鶏、三猿の図柄。造立年は享保3年(1718)1月で、「下赤塚村 上谷講中 十七人」とあるが、この上谷というのは上谷津のことである。隣りの駒型の庚申塔は、日月、青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿の図柄。寛延3年(1750)12月の造立で、「下赤塚村 講中十七人」とある。真ん中の丸法地蔵尊は元禄7年(1694)の造立で、この地蔵には「武州下赤塚村 上谷津講中」とある。上谷津というのが野口に隣接したこの辺りの古い地名。

手前の小さな2基は左側が舟型の地蔵菩薩で安永5年(1776)10月の造立。資料によると「六道の辻」にあったとあるが、六道の辻は今も交差点名で都道長後赤塚線の六差路の交差点である。一番手前の石柱は「念仏講中」「武州豊嶋郡下赤塚村」の銘が読める。

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5基の石仏の奥にあるのが、聖観音像と庚申塔と思しき石塔。聖観音像は造立年は分からない。右の庚申塔と思われるものは、青面金剛像らしき影は残っているが、摩滅があまりに酷くて文字も読めない。資料によると下部に三猿があるようだが、ゼニゴケが凄くてわからなかった。脇には「下赤塚」の銘もあるらしいが見えず。

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門扉のすぐ後ろにある大きな石碑は明治11年(1878)11月に建てられた地蔵菩薩。薄い陰刻で描かれているので、はっきりとは見えない。ご先祖の供養塔として建てられたものらしく、「嘉永7年(1854)明見自性禅定門、弘化3年(1846)臨菓妙慶信女、享和元年(1801)玉泉珖禅定尼、明治11年(1878)一閑脱念禅定尼」と書かれている。順番がおかしいのは何故か分からない。

おそらく昔はここに上谷津の檀家が支える三畝院という小さな寺院があったのだろう。

<追記>

三吉朋十氏の『武蔵野の地蔵尊』によると、門扉の後ろの大きな石碑は線刻の親子地蔵で、よく見ると地蔵の胡坐の上に小さな地蔵が赤子のように乗っている。なるほど。

場所  板橋区赤塚5丁目5-7

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