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2020年11月29日 (日)

簸川神社の庚申塔群(文京区千石)

小石川植物園の西側は網干坂、その先に簸川神社があり、簸川神社の西側が簸川坂。どちらも見事な風景の坂である。簸川神社はこの二つの坂が見せる急な斜面の上に立つ神社。坂下にはかつて小石川(千川)が流れ時折洪水を起こしていた。そんな小石川も戦前の昭和初期には埋め立てられて暗渠となってしまったようだ。谷の対岸上の尾根には中山道が通り、ちょうど茗荷谷駅あたりになる。

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簸川神社の創建は飛鳥時代よりもさらに古い孝昭天皇3年(473)と神社庁では説明しているが、孝昭天皇は紀元前475年から紀元前392年というのが在位。もっとも古すぎてどちらもかなり眉唾である。そもそもその時代はここは海岸だった可能性が高い。真偽はともかくとして、そんな神社の境内にはコンクリートで固められた庚申塔群がある。

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上の写真は本殿側から見た図。右側の背の高いのは青面金剛像の形は分かるが、上部の日月と下部の三猿はかすかに痕跡がある程度。年代は分からない。隣りの庚申塔も年代不詳。青面金剛は分かるがそれ以外は殆ど判別できない。その隣は向きが90度変わるが、この庚申塔だけは残された一部で年代が判定できる。延▢▢▢己未五月とあるので、延宝7年(1679)5月とわかる。

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延宝7年の庚申塔は損傷が激しく一部の文字以外は読み取れないが「奉待庚申供養」という文字は見える。おそらく下のふくらみは三猿だろう。その上には上部と中央部が欠損し下部のみのこされ、青面金剛の下半身だけがわかる庚申塔が乗っかっている。邪鬼のふくらみがわかる。これも年代不詳。隣りは青面金剛、鶏、猿の一部が残る庚申塔で正徳4年(1714)の年紀が読めた。

本堂とは反対側(階段側)の駒型石塔は正体が判らない。その左もほとんど形を留めていないが、文京区の資料によると、青面金剛像の庚申塔らしい。年紀などの情報は全く不明である。その資料には「己巳三月」とあるので、元禄2年(1689)か寛延2年(1749)だろうが、もしかしたら文化6年(1809)の可能性も捨てきれない。

場所  文京区千石2丁目10-10

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