八雲神社の不動明王(板橋区向原)
千本塚から西へ伸びる道は古い道で、千川用水畔から現在の江古田駅あたりに向かう村道であった。この道を西へ進み、要町通りを横切り、その少し先で右に分岐する道がある。この道もまた昔からの道で、そこを入るとすぐに向原八雲神社がある。中世には現在の向原一丁目(要町通りの北側)にあったが、江戸時代に現在の地に移転してきたと伝えられる。江戸時代は、富士講大山講に関係の深い神社で、山岳信仰に関する多くの宝物があるらしい。
境内にある溶岩の土台に祀られた不動明王像は少し変わっている。台石の上に台石らしきものがあり、尊像の不動明王はその上に載っている。真ん中の台石に陽刻されているのは、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)の両脇侍。丹沢大山の大山寺の本尊である不動明王への信仰から造られたものである。
大山は火山ではないので溶岩は無関係だが、富士講と混じり合ってこうなったのだろうか。不動明王像の造立年は文政2年(1819)8月、大山不動と呼ばれ、講中十七人、世話人金蔵松五郎の銘がある。元は大谷口二丁目の溜池脇にあったというから、現在の場所としては大谷口の窪地にある大谷口ガーデンマンションの辺り、板橋区立向原一丁目広場の東側と思われる。その辺りは水源のひとつで、水流は北進しえんが堀となって石神井川に注いでいたが、しばしば洪水になったため早い時代に暗渠化されてしまった。その暗渠は、ガーデンマンション脇に今も水路道として残っている。
場所 板橋区向原2丁目4-7
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