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2020年12月11日 (金)

養玉院如来寺の石仏(品川区西大井)

現在の地域では大田区東馬込と区境で隣合う品川区西大井にある養玉院如来寺。実はこの寺院は二つの寺院が合併したもので、元は台東区下谷にあった養玉院と、高輪にあった如来寺がそれぞれ、明治時代にこの場所に移転してきて合併した。近所の寺院を吸収することはよくあるが、別々の地から移りひとつになったのは例が少ないと思う。

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入口には立派な山門があるがこれは平成元年に建てられたもの。広い境内を進むと本堂が左手にあるが、一番目立つのは如来堂、如来寺の由来である木造五智如来坐像の納められた建物で、宝暦10年(1760)の再建。明治の移転の際に移築されたが、もともとは本堂であったらしい。木造五智如来坐像は寛永12年(1635)に木喰但唱が造立したものだが、今回は拝観できなかった。

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如来堂の裏手には大きな3基の石仏が並んでいる。光の関係で写真が見にくいが、どれも地蔵菩薩立像。左は寛永14年(1637)4月の造立で高さは175㎝ある。「奉造立地蔵菩薩」とあり、「作但唱」ともあることから、木喰但唱上人の作であるとされる。品川区内では最古の地蔵菩薩像。真ん中も木喰但唱作で、寛永15年(1638)2月の造立で、五智如来像の由緒を示す地蔵菩薩像とされる。「五智如来大本願為十品甚衛門内方」「奉従霊願嶋新堀町中此供養也  作但唱」とある。霊願島新堀町は日本橋川(神田川)の河口の町。舟型の上部は昭和58年頃の写真では完全に欠損しているが、後に補修されて今の形になっている。右の地蔵は承応3年(1653)8月のもので、これは木喰但唱のものではない。

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もう一つの名作と言われる線刻の地蔵菩薩像、慶安4年(1651)造立で江戸時代は爪書地蔵と呼ばれていた地蔵があるはずだが、納骨堂にあるらしくこれも拝観はできなかった。その手前にあるこの舟型の地蔵菩薩立像は頂部が一部欠損、造立年は文化14年(1817)2月とある。これも十分すばらしい地蔵なのだが、前の3基が凄すぎる。

場所  品川区西大井5丁目22-25

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