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2020年12月 5日 (土)

大塚公園の大塚地蔵尊(文京区大塚)

丸の内線新大塚駅の東南側に東京都立大塚病院と大塚公園がある。この場所は大正時代まで養育院という施設で、その起源は江戸時代第11代将軍徳川家斉時代の共有金制度から始まる窮民救済施設。本郷、上野、浅草と移り、1896年にここに移転、そして関東大震災のあと1923年には板橋区の大山に移った。実はこの養育院を明治以降守ったのは渋沢栄一である。

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現在は大塚の養育院の敷地は半分が都立病院、半分が大塚公園である。そういう場所であるから公園内に石仏が並んでいても場違いではない。立札にも大塚地蔵尊とあるが、実はほとんど庚申塔。一番右にある大きな丸彫座像が純粋な地蔵尊である。

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この若干顔が大きな地蔵菩薩坐像は明治39年(1906)2月に建てられたもので、「東京上野浄名院  石地蔵尊八万四千造立正 …」とある。日露戦争の忠魂、養育院内の群霊の供養のために建てられた。上野浄名院は台東区上野桜木にある寺院で別名へちま寺、境内には八万四千体地蔵と呼ばれるほど沢山の地蔵があるというので有名。

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隣りにあるのは上部が戦災の爆撃で吹っ飛んでしまった庚申塔。文京区の資料によると、昭和15年(1940)頃の調査資料に写真があり、それは笠付角柱型の庚申塔だったとある。なんとまあ無残なこと。しかし、造立年は延宝2年(1674)というのは判明、しかし月が判らない。中央には「奉造立庚申供養二世安樂攸」と彫られている。

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その横には舟型光背型の庚申塔が3基並んでいる。右から、寛文5年(1665)2月造立で、地蔵菩薩像に三猿が陽刻されている。中折れは戦災によるものだろう。真ん中は欠けた顔を補修してあるが、尊像は釈迦如来のようだ。下部には三猿があり、造立は延宝6年(1678)8月。年紀は文京区の資料を参照した。左の庚申塔の尊像は聖観音像。台石に三猿が描かれている。これも延宝6年(1678)8月の造立。

現地の説明板によると、ここの庚申塔は元は大塚辻町(現在の大塚5丁目9番)にあり、それぞれ300年以上昔、往時の里人が豊作を祈り、二世安樂の祈願をこめて造立したもの、と書かれている。その場所は現在の地下鉄新大塚駅の真上の大塚五丁目交差点である。

場所  文京区大塚4丁目48-8

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