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2020年12月10日 (木)

宗福寺の石仏(大田区北馬込)

古道でもある品川道は現代においても品川区と大田区の区境となっている。江戸時代は北側が小山村、南側が上池上村であった、天保2年道標から中通りを南へ300mばかり下ると、宗福寺がある。山門に覆いかぶさるように枝を伸ばした見事な松の大木、その下には登志子地蔵堂がある。明治時代のこの辺りの地名は平塚村松原。

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登志子地蔵尊は新しいものである。地蔵堂の前には念仏車がある。堂宇内に地蔵造立の由来が掲げてある。昭和10年(1935)5月のある日の夕刻、10歳の登志子ちゃんが若い男に誘拐され暴行された後殺害された。間もなく犯人は逮捕されたが、あまりに残虐な性犯罪かつ殺人罪だったので、馬込の人々はこの事件を風化させまいと登志子地蔵を造立したという経緯である。いつの世も、法は被害者に冷たく、加害者に厚い。

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その近くに慈母観音像があり、その前には角柱型の庚申塔が立っている。日月、青面金剛像、三猿が彫られた庚申塔で、造立年は天保11年(1840)10月。「馬込村寺郷谷  文蔵  庚申堂供養  世話人  加藤金兵衛門」とある。寺郷は現在の北馬込1丁目あたり、品川道の南側の地域。庚申塔と台石には道標もあり、正面には「池上 十八丁  南  新田一里」、左面には「左  めぐろへ廿八丁  さる丁へ壱り」とある。さる丁が何を意味するのか分からない。右面には「右 品川江三十丁」とあり、それから推定すると元々あった場所は、北馬込1丁目の品川道のどこかであった可能性が高い。

場所  大田区北馬込2丁目5-5

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