天保2年銘道標(品川区中延)
天明3年銘石造道標から170m南下したところに天保2年銘道標がある。説明板の内容を紹介すると、南品川宿で東海道から分かれて大井を横切り、中延と馬込の境を通って洗足で中原街道に合流する品川道と、中原街道を平塚橋で分かれて、中延・馬込を通り、新井宿で池上道と結ぶ通称「中通り」との交差点に建てられた道標。
道標には行先と天保2年(1831)の年紀、下中延村の題目講の人々が建立したものであることが記されている。江戸時代、中延村は天領(幕府領)と増上寺領に分かれており、天領区域は上中延村、増上寺領は下中延村と呼んだ。それぞれに別の講中を組織していたようである。
写真を撮っている時に、地元の80歳は超えていると思われるおばあさんに声を掛けられた。「この石はね、昔はもっと道の真ん中にあったんですよ。道路工事の度に動かされて何度か目にここになったんです。」と教えていただいた。確かに、江戸時代は街道と言っても五街道は3~4間(5.4m~7.2m)、広い所では9mほどあったものの、村を結ぶ街道はせいぜい2間(3.6m)だった。こういう辻の石塔石仏は、そういう過去を持つことが多いのだろう。
場所 品川区中延5丁目12-8
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