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2020年12月25日 (金)

上井草駅北の馬頭観音(練馬区下石神井)

30年くらい昔のことだろうか、関越自動車道練馬入口に行くのに環状八号線を北上すると、井荻の西武新宿線踏切で毎度の大渋滞。今は井荻トンネルでものの2,3分で通り過ぎるところを小一時間かかることもしばしばだった。それで杉並区今川から上井草の踏切を通って北上したものだが、この踏切が千川通りと浅い角度で交差するので、踏切自体が交差点の真ん中にあるような道で、ここもまた大混乱していた。それでも環八よりもはるかに早いので、しばしばこちらを通っていたものである。

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踏切を北へ渡りすぐに右折するのが千川通り。これを上井草駅方向に東に進むと、間もなく南側の歩道に面したブロック造りの堂宇がある。堂宇の覗いてみると、中には角柱型の石塔が祀られていた。もともと鉄道がとおる以前は千川通り沿いの街道で、この馬頭観音の辺りから南に入る道があったが、その場所と推定されるところにあたる(道は現在は存在しないが、杉並区と練馬区の区境はこのかつてあった道の筋に残る)。鉄道開設によって道筋が変わってしまったのだろう。

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石塔は馬頭観音。造立年は文政9年(1826)3月で、正面には「南無馬頭観世音」とある。台石の右には「西 柳沢道」左には「東 雑司ヶ谷道」とあり、道標を兼ねていたようだ。正面には「武州豊嶋郡下石神井村 川南惣講中」と書かれている。また、それに続き、「坂下、伊保ヶ谷戸、向三谷、上久保」という地名と願主がある。これらは下石神井の千川上水北側にあった小字名。しかし川南の地名は辺りには見当たらず、千川上水以南の集落の意味かとも想像される。

場所  練馬区下石神井4丁目28-12

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