井草八幡前の庚申塔(杉並区上井草)
井草八幡宮の北参道の入口は青梅街道と早稲田通りの出合いの辻。西側には浅間神社と井草富士。もっともこの富士塚は昭和50年(1975)までは本殿脇にあったものである。ちなみに井草八幡宮の創建は平安時代と考えられ、源頼朝の東征以降八幡神社となったようだ。この井草八幡宮の北参道から青梅街道を挟んだ北側の角にも庚申塔がある。
上野写真の青梅街道の標識の右下にあるのがその庚申塔である。笠付角柱型で最上部の擬宝珠まできれいに保たれている。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、尊像脇に「奉納庚申塔 遅野井村講中」とある。造立年は元文3年(1738)11月で、同行二十人と書かれている。また青面幹部には願主名があり、野田中右衛門、野田弥市右衛門の名がある。野田姓はこの辺りの石仏石塔によく見かける名家である。
遅野井村は上井草村の別名で、中世以前の呼び名。江戸時代に上井草村となり、明治22年(1889)には井荻村となった。このあたりの地名は政権が付けたもので、地元の呼び名ではなかったのかもしれない。その為いまでも遅野井という呼び名が残っている。遅野井というのは善福寺池の昔の名前で、今も善福寺には遅の井の滝というかつての湧水の再現の滝がある。
場所 杉並区上井草4丁目4-3
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