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2020年12月 4日 (金)

源兵衛共同墓地の石仏(新宿区西早稲田)

早稲田通りの源兵衛子育地蔵尊から北へ400m程のところに共同墓地があり、「源兵衛共同墓地」とある。源兵衛というのは人名ではなく、この辺りの江戸時代の地名で武蔵国豊嶋郡野方領源兵衛村といった。この村は元和元年(1615)大坂夏の陣に敗れた豊臣家臣の小泉源兵衛らが移り住み、荒れ地を開墾したのが始まり。元禄時代には上戸塚村から独立して源兵衛村を名乗った。

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都会のビルの間にひっそりと佇む小さな墓所の中には立派な庚申塔もある。この笠付庚申塔は丸柱タイプで、日月に「奉供養庚申二世安楽處」とあり、その下に三猿が彫られている。造立年は延宝3年(1675)11月。関口伝兵衛が願主のなかなか立派な庚申塔である。その左側にある角柱型の馬頭観音塔は、明治43年(1910)1月の造立で、関口氏の建てたものらしい。この地に関連する関口氏は小泉源兵衛とともにこの村を作った関口新蔵の子孫のようだ。

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墓に墓碑を立てるようになったのは江戸時代中期からだと言われる。上記小泉源兵衛も神田川を見下ろす丘に埋葬されたが、それがこの場所である。今も地方には家の近くや村の外れに墓所があって、寺がなくても村の人々が守り管理するところが多々ある。かつては早稲田の地もそういう場所だったのである。

場所  新宿区西早稲田3丁目24-12

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