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2021年1月16日 (土)

椿山荘の庚申塔(文京区関口)

椿山荘は都内でも数少ない江戸時代以前の風景をある程度保っている場所である。この場所は江戸時代後期には久留里藩黒田家の大名屋敷で、明治になって長州萩出身の山形有朋がその風光明媚さに魅了されて買取った。山形有朋はこの自然を守ってくれる人にということで藤田財閥二代目の藤田平太郎に譲渡、第二次大戦でかなりの部分が焼失したが、戦後藤田興行(藤田観光の前身)が引取り庭園を復元した。有名なのは三重の堂だが、それ以外にも歴代の主が集めた貴重なものが多く残る。

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ホテル棟から下り赤い橋を渡って庭の中心である幽翠池(ゆうすいち)の手前に庚申塔がある。これは山形有朋がどこかから持ってきたものだと思い込んでいたが、どうも江戸時代からここに在ったものらしい。江戸時代は大名屋敷だったが、西隣の熊本藩細川屋敷とのとの間には今もある胸突坂の道があるし、この庭の中程にも台地上から神田川に下る野道があった。その路傍には当時からこの庚申塔があったことが知られており、場所はほどんど変わっていないようだ。

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舟形光背型の庚申塔は高さが122㎝もある大きなもので、保存状態もすこぶる良い。青面金剛像、一猿、二鶏の珍しい組み合わせで、「奉造立庚申供養石塔一基為二世安樂也」と彫られている。造立年は古く寛文9年(1669)4月である。幽翠池の西側は江戸時代は旗本の屋敷で、明治になってからは山縣邸ではなく田中邸とあるが、この田中邸は土佐藩士から宮内大臣となった田中光顕の屋敷。その南には江戸時代に松尾芭蕉が住んだという関口芭蕉庵がある。昔の地図から推量ると池までは山縣邸で、この庚申塔も山縣のものだったろう。傍にある小さな六面幢も由来がありそうだが、資料のどこにもなく未だに気になっている。

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少しホテル棟へ戻ったところに羅漢像などの石仏が多数配置されている。説明板によると、江戸時代の有名画家である伊藤若冲の下絵を元に造られたものらしい。京都伏見の石峰寺にあったものを大正14年頃移したというから、藤田平太郎が持ってきたものだろう。私事だが長男が一昔前にここで結婚式を挙げた折、この庭を何度も廻ったが、本当によく出来た庭園で、現在もある滝も元々の水源があった場所である。江戸時代以前からつばきやま(椿山)と呼ばれた椿の群生地だったことや、芭蕉や広重が魅了されたこともよく分かる。

場所  文京区関口2丁目10-8

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