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2021年2月 1日 (月)

和泉四丁目の供養塔(杉並区和泉)

路地裏を歩いていて見つけた石塔である。番屋坂を下り神田川を渡る番屋橋を渡る。そのまま東に緩やかな坂を上っていくと、民家の角に背の高い石柱が立っていた。表には「四国八十八箇所打留」と彫られている。これは一旦何だろうと書かれている文字を読んでみた。こんな場所で打留とは一体何だろうと首を傾げた。

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造立年は安永2年(1773)仲夏とあるので5月。裏には「寄付 筒井三郎兵衛」とある。この丁字路を北に向かうと200mほどで文殊院の山門がある。文殊院は高野山真言宗の寺院で、慶長5年(1600)に駿府(静岡県)に開山、寛永4年(1627)には徳川家に従ったのか浅草に移転、元禄9年(1696)になると白金に移る。そこでは御府内(都内)八十八箇所霊場の打留札所となっていたが、大正9年(1920)に区画整理により杉並区和泉のこの場所に移されたという経緯がある。

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文殊院に向かっていくと寺院の手前の辻にも石柱が立っていた。この石柱は大正10年(1921)に建てられたもので、白金から移転した翌年のことである。御府内八十八箇所というのは港区高輪にある高野山東京別院を一番として、都内の弘法大師ゆかりの寺院を八十八箇所巡るという宗教行事で、宝暦5年(1755)に始まっている。おそらく打留の石柱は白金にあったものを移したのだろう。

場所  杉並区和泉4丁目12-4

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