観泉寺門前の石仏(1) (杉並区今川)
杉並区今川にある観泉寺は曹洞宗寺院で、戦国大名今川家の菩提寺。今川義元は桶狭間の戦いで織田信長に討たれたが、義元の子は徳川家康の庇護を受け今川家は細々と続いた。三代将軍家光の時代の正保2年(1645)に井草の地を所領として与えられた。現在の「今川」の地名はこの今川氏が由来である。
観泉寺の創建は慶長2年(1597)とされるが、その当時は今川家との関係はない。当初は観音寺という名で、後に今川家の三女が仕えた。その関係で弟にあたる今川直房が井草村の領主となったのが家光の時代である。観泉寺は名庭で知られるが、今回は門前にある石仏群を紹介する。ここには多くの石仏が祀られており、不詳のものも含めると20基以上になる。まずは北側に並ぶ6基の石仏から。
右端の小さめの角柱は庚申塔である。日月、青面金剛像、三猿が上部に描かれている、延享2年(1745)4月のもの。「武刕多摩郡遅野井村」の銘があり、「奉建立庚申橋供養佛」とあるが、他の石仏と同じく西荻北4-37の地蔵坂より移転したもので、地蔵坂の名前の由来でもあった。その話は「地蔵坂」のページに書いている。
中央の見事な笠付角柱型の庚申塔は宝永2年(1705)12月の造立。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、「御地頭御武運長久祈 現當二世安楽所」と書かれている。側面の蓮葉も見事である。左は文政7年(1824)10月造立の馬頭観音塔。「多摩郡遅野井村」の銘があり、側面には「西ふちう」「東江戸」と道標が記されている。
左側の3基を見てみると、右からこれもまた見事な笠付角柱型の庚申塔。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、造立年は貞享2年(1685)10月。中央の駒型庚申塔は正徳6年(1716)2月の造立で、日月、青面金剛像、三猿のデザイン。一番左は比較的新しく、明治29年(1896)12月の石段寄附の折の供養塔のようである。この北側の6基はすべて、前述の地蔵坂にあったものとされている。
場所 杉並区今川2丁目6
| 固定リンク
コメント