千川上水上の庚申塔(豊島区千早)
地下鉄有楽町線・副都心線の千川駅の南西にある都立千早高校、昭和後期まで立教大学の運動場だった場所に牛込商業高校が出来、それが現在は都立千早高校になっている。その北側を流れクランクして千川駅の方に千川上水の親水公園(緑道)が続いている。高校のプールだが50mプールというのは珍しい。そのプールの傍にあるのが庚申堂である。
左から3基は庚申塔、右端が供養塔である。板に書かれている説明によると、ここにある庚申塔はかつて千川上水に架かっていた「庚申橋」の脇に祀られていたもの。しかし戦後の高度経済成長期になり、千川通り周辺で土木工事や建築工事が頻繁に行われるうちにいつの間にか行方知れずになってしまった。後に、練馬区北大泉の山林に放置されているのが発見され、この場所に戻されたが5基あった石塔の内、庚申塔1基は見つからず仕舞いという。
左側の2基はどちらも笠付角柱型の庚申塔。左端は貞享3年(1686)10月の造立。文字塔で「奉造立庚申宝塔現當求願小如意所」とあり、側面には蓮葉が描かれている。「武刕豊嶋郡長崎村」の銘がある。左から二番目は正徳元年(1711)10月造立の庚申塔で、日月・青面金剛像、邪鬼・三猿・二鶏の図柄。
右側の二基は、まず舟型光背型の庚申塔で、日月、青面金剛、三猿が描かれているもの。像の右には「奉造立庚申講中為二世安樂」とあり、造立年は延宝8年(1680)9月。しかし左裾に「遠江國榛原郡住吉村」という銘が彫られている。今の静岡県榛原郡吉田町には住吉という地域がある。江戸時代は「住吉新田」と呼ばれていた。なぜ今、ここに在るのかという不思議はあるが、後の時代に石垣造りのための代用石として運ばれてきた可能性も無きにしも非ず。
一番右の供養塔は「奉納大乗妙典諸願成就処」とあり、明治4年(1871)9月のものである。
場所 豊島区千早3丁目46-21
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