坂本庚申堂(北区赤羽台)
宝幢院前から南西に向かうかつての板橋道はうつり坂を上って小豆沢へ向かっていたが、大正8年(1919)に陸軍被服本廠が出来ると一般道ではなくなり、被服本廠への専用道路になってしまった。現在坂上は再開発工事で建替えの進む元赤羽台団地だが、戦後のこの団地にも昔からの道祖神や庚申塔が残されていたという。(いくつかは赤羽八幡へ移設)
うつり坂も当然軍用道路だったわけで、大正8年から戦後まで、この坂本庚申堂がどういう状態だったのかについては興味があるが分からない。この庚申塔の講中はまだ続いている可能性があり、9月に祭祀を行っているようだ。講中ではこの庚申塔を「庚申様」のほか「馬頭観音」とも呼んでいるようで、江戸時代末期から明治にかけてはこの混同がしばしばある。
堂内の庚申塔は板碑型で、あまり大きくない。高さは63㎝で、板碑型でこの大きさの庚申塔は珍しい。中央には「奉造立庚申二世安樂処」とあり、造立年は延宝8年(1680)9月4日。この造立年が今も守られて祭祀日となっているのはのは面白い。
場所 北区赤羽台3丁目1-8
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