観泉寺門前の石仏(3) (杉並区今川)
南側の列にあるのは「三谷子育地蔵堂」と呼ばれている堂宇。その左側にはいくつかの新しい小さな石仏が並んでいる。三谷子育地蔵堂の中には地蔵立像と石柱が祀られている。
右側の舟型の地蔵立像が三谷子育地蔵。造立年は元文2年(1737)11月である。地蔵菩薩立像の脇に「念佛供養」という文字と年紀が彫られている。台石には、「願主 本田与七郎 連衆中 二十八人」とあるので、地蔵講中によるものだろう。左の笠付の石塔には「南無阿弥陀佛」と書かれており、側面には「志やくち道」とあるらしい。石神井道の意味だろうか。また、「念佛供養講中二十五人」の文字も見えるが時代は不詳。台石の水滴による凹みや資料からして江戸時代のものであることは間違いなさそう。この二基は、昭和56年(1981)に桃井4丁目16より移されたものである。今の今川四丁目交差点辺りで、青梅街道に並行した村道にあったようだ。
石仏の左端には写真の板石がある。これは昭和50年(1975)のもので、「子育地蔵尊供養」と彫られている。「功徳主 羽生たき」と書かれており、「大正15年より助産婦業に従事し、当地に於いて五十有余年出産を取り上げ数一万三千有余大過なく今日に至り、感謝の意を表現して之の碑を奉納す」と裏面にあることから、このスーパー助産婦さんに感謝し供養するものだろう。年換算で260人の新生児を取り上げたとは想像を超える凄さである。
場所 杉並区今川2丁目6
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