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2021年1月 3日 (日)

能満寺門前の石仏(練馬区旭丘)

西武池袋線の北口を出て東側には日大芸術学部、その先に区立旭丘小学校があり、その東隣りが能満寺。江古田駅は大正11年(1922)に旧制武蔵高校用の仮停車場として開業、通学時間帯のみの停車だったが、翌年には一般開業。大正時代前期以前は何もない原野で石神井川支流のえんが堀の源頭のいくつかがこの辺りにあった。能満寺の門前の道もその源頭の流れの傍にあった道である。

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山門の手前に緩やかな坂があり道から山門まで数十mの参道があるが、それはおそらく川があった名残り。創建は不詳ながら、元和年間(1615~1623)とされている真言宗の寺院で、夏雪山廣原院能満寺が正式名。名前から想像するに武蔵野の林と野原の広がる土地だったのだろう。参道の入口の左手に数基の石仏が並んでいる。摩滅と風化が激しく年紀や尊顔の不明なものもいくつかある。

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ひときわ背の高い丸彫の地蔵菩薩立像がある。この地蔵は享保16年(1731)造立のもので、上板橋村の講中15人によるもの。その手前の地蔵については不詳である。

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その隣にあるのは駒型の庚申塔と丸彫地蔵。地蔵の方は何も文字がなく情報もない。庚申塔は、享保13年(1728)霜月(11月)の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、青面金剛右には「奉造立青面金剛尊講中」、左には「八人現當諸願如意満足所」とある。側面には「ビリ豊嶋郡上板橋村」の銘もある。

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一番奥にあるのが「千川地蔵」と呼ばれる地蔵立像。造立年等の詳細は不明だが、経緯を書いた石柱が隣接、しかしこの文字が読めず資料に頼ると、大正14年(1925)に玉川上水の川ざらいの折、豊島区との境にある五良久保橋付近より拾い上げられたもので、昭和27年(1952)に能満寺に移されたもの、とある。しかし玉川上水というのはおかしいので、千川上水の資料を調べてみると、この記載があった。『千川上水は豊島区に入り南長崎で北方に曲がる。その曲がった所の東岸に千川地蔵はあった。地蔵は、大正14年(1925)に千川上水から拾い上げられここに建立されたが、昭和27年に能満寺に移設された。』とあり納得した。場所は中野通りと南長崎通りの交差点の辺りになる。

場所  練馬区旭丘2丁目15-3

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