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2021年1月27日 (水)

赤羽宝幢院の石仏(2) (北区赤羽)

宝幢院の境内は何となくまとまりがない。明治の初期に鉄道が開通する以前は、日光岩槻街道の要所としてにぎわい、宝幢院の西側からは台地の上にある赤羽八幡社への参道が伸びていた。鉄道が大宮方面に延びた時に、その参道をがっつりと浸食して軌道が通されたので、どことなく手狭な風景になっている。

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本堂の手前東側の駐車場の奥には2基の立派な庚申塔が祀られていた。左の板碑型の庚申塔は北区で最古の庚申塔。造立年は寛永16年(1639)霜月(11月)と古い。時代的には、将軍が三代徳川家光の時代である。家光は家康を深く慕っていたので、日光東照宮へのお参りでしばしば寺の前の辻を通ったに違いない。

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板碑型庚申塔の主尊である阿弥陀如来と二猿は美しい線刻で描かれている。上部には「山王廿一社」とあり、脇に「岩淵赤羽根村」の銘がある。右側の舟型光背型の地蔵菩薩立像は、上部に日輪月輪を拝し、下部には地蔵脇に二鶏がいる。その下には三猿が描かれており、初期の庚申地蔵であることが明白。造立年は延宝8年(1680)10月で、この年は庚申年である。

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本堂側に回り込むと、植込みの中に板碑型と駒型の中間のような庚申塔が立っている。造立年は寛文10年(1670)11月で、上部が少し欠損している。下部には三猿が陽刻されており、中央には「奉造立庚申供養二世之処」と書かれている。法幢院の庚申塔はどれも初期型のもので、典型的な庚申塔ではないが、それだけに江戸時代初期からここが賑わう街道筋だったことを物語っている。

場所  北区赤羽3丁目4-2

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