水難供養地蔵尊(北区志茂)
西蓮寺、熊野神社を経て、志茂旧道を川上に向かって歩いていく。西蓮寺も古いが、その西蓮寺の住職が正和元年(1312)熊野三社権現を勧請して創建したのが志茂熊野神社。坊さんが神社を勧請するというのはなかなか面白い。毎年2月7日に行われる白酒祭は北区の無形民俗文化財になっているという。氏子総代たちが弓矢で、大きな丸に「鬼」と書かれた的を射抜いてその年の吉凶を占い、その後に白酒と短冊形の切り餅が参拝者にふるまわるらしい(オビシャ行事)。
そのまま志茂旧道を進むと新河岸川土手の道に出る。そこにはいわゆる「かみそり堤防」が立っていて、川と人々の住む土地とを分断している。かみそり堤防は昭和32年~昭和50年に作られた隅田川周辺の堤防で、薄っぺらい塀のような堤防の俗称で、実際には極めて決壊しやすいようだ。それ以降の堤防はいわゆるスーパー堤防となっており、親水的な造りに変わっている。
このかみそり堤防の傍にぽつんと立つ地蔵を見つけた。説明板には「この地蔵は昔、水難事故が多く、供養のため地元有志によって建てられた(志茂五水門自治会)」とされ、昭和40年(1965)5月と記されている。かみそり堤防が出来たことで、それまでの土手から川に入って遊び流される人が少なくなったのだろうか。その分、川の存在すら分からなくなってしまったのは大きな反省だったのだろう。首が木製になっている経緯は分からない。
場所 北区志茂5丁目41(道路よりも土手側と川の対岸は41番地である)
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