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2021年1月17日 (日)

橋戸の子育地蔵尊(北区志茂)

北区に志茂という地域がある。今は志茂だが、江戸時代から明治時代にかけては下村という村だった。明治時代に下村は大字下とされたが、差別的な印象から「志茂」に文字を変えたという経緯らしい。明治以前は熊野神社と西蓮寺を中心に広がる農村であった。村の中心を南北に走る志茂旧道は現在も残っており、志茂駅南口から赤羽岩淵まで続いている。

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志茂旧道の中でも標高の最も低い辺りに橋戸の子育地蔵尊がある。橋戸というのはこの辺りでこの地を呼んでいた名前らしい。古い地図を見ると、赤羽西の真正寺坂辺りを源流とした稲付川が分流となって流れており(稲付川末流)、橋があったのではないかと推察している。この堂宇には5体の石仏が祀られている。

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一番右の小さい舟型の石仏は地蔵菩薩像。造立は元文3年(1738)で地元(下村)の人々によるもの。左の丸彫の地蔵菩薩立像は、単体でも橋戸の子育地蔵尊と呼ばれるもの。場合によっては4体合わせて橋戸の子育地蔵尊と呼ぶ説もある。造立年は元禄13年(1700)11月で、地蔵の右側には「庚申待供養二世安樂所」とあるので庚申講中によるものである。

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中央左は元禄14年(1701)1月造立の舟型光背型の庚申塔だが、尊像は大霊権現とされている。下部には三猿があり上部には日月がある。下にある基壇にも三猿が描かれており合計六猿になる。一説には基壇は他の庚申塔のものの可能性が高いとされている。その左にある黒っぽい石塔の中央にはうっすらと「庚申」の文字がある。色が黒いのは玄武岩を使っているからだろう。この庚申塔については戦前には旧奥州街道沿いにあったとされているので、現在の北本通り(国道122号)にあったのであろう。手前の地蔵は不詳だが新しいもののようで、昭和の資料には記載がない。

場所  北区志茂4丁目43-2

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