東覚寺の赤紙仁王と庚申塔(北区田端)
田端にある東覚寺は赤紙仁王尊で有名である。隣接する田端八幡神社の別当寺で、延徳3年(1491)に神田筋違に創建した。現在の昌平橋と万世橋の中間にあった江戸城筋違見附跡あたりである。その後根岸に移転し、慶長年間(1596~1615)に今の場所に移った。門前には赤紙でベタベタになった阿像・吽像(うんぞう)の石仏仁王像が目立つ。
願い事が満願すると、信者は草鞋を奉納する。数年前に赤紙がいったん取られて間もない時に訪問して撮った写真があった。赤紙仁王は江戸時代に疫病が流行した時、宗海上人が願主となって建立した。造立年は寛永18年(1641)8月とある。赤紙は魔除けが目的で、自分の身体の患部にと同じ場所に貼って病の治癒を願ったものである。
赤紙のない仁王像は迫力があるが何となく物足りないのは何故だろうか。しかしこの赤紙を貼り草鞋を奉納するという風習は、実は明治時代になってからというのが真実らしい。そういった歴史の勘違いは多い。苗字に関する法論争も歴史を見るとごく最近の風習を守ろうとする一部の人々がいてなかなか進まないが、江戸時代はもっといろんなことが自由であった。明治政府以降に政府は国民を縛り始めたその歴史だと思う。
境内には駒型の庚申塔が祀られていた。造立年は享保3年(1718)で月が分からない。日月、青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿が描かれており、庚申講中全盛期のものである。東覚寺の東には東覚寺坂という坂がある。坂のページで解説しているのでお読みいただけると幸いである。実は赤紙仁王尊は廃仏毀釈(神仏分離)の前は田端八幡神社の入口にあった。近代政治が人々の拠り所となる信仰を迫害してきた歴史の一コマである。
場所 北区田端2丁目7-3
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