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2021年2月10日 (水)

浮間渡船場跡の石仏(北区浮間)

江戸時代の荒川は蛇行しながら東京都と埼玉の間を流れていた。浮間はその蛇行によって出来た水滴型の低地である。江戸時代の流程は現在の埼京線浮間舟渡駅あたりが北から南に流下する川の中、南下する流れは志村・小豆沢の武蔵野台地にぶつかると北東に反転し北赤羽駅あたりでは南西から北東に流れる。その蛇行の壺の底辺りで、小豆沢の台地に走る中山道から荒川を渡って川口に向かうのが浮間の渡しである。ひとつ上流の渡しは中山道の戸田の渡し、下流の渡しは岩淵の渡しである。

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浮間の渡し場の前にはかつての流程と同じ場所に新河岸川があり、コンクリートのカミソリ堤防が川と人とを遮断している。しかし浮間の歴史は水害の歴史でもある。その為浮間にある旧家は悉く1~2mの高さに嵩上げしている。大切なものを保管する蔵はさらに高くして水塚にしてあるのが特徴。そんな屋敷の傍に4基の石塔が並んでいる。

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一番左の小さな石祠は水神様。こういう地形のところには水神が多い。洪水との闘いの歴史である。その隣は立派な笠付角柱型の庚申塔。造立年は天保9年(1836)6月とある。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれておりなかなかの彫りである。邪鬼が仰向けになっているのは珍しい。基壇には講中18人の願主が刻まれ、講元松澤藤助の銘、左側面には蓮沼村石工清八、小石川久五郎の銘がある。

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右隣りの笠付角柱型の馬頭観音も例にないほど立派なものである。造立年は文化10年(1813)11月で、浮間村の講中35人が、往来する馬の交通の安全を願ってた建てたもの。馬頭観音としては極めて大きく、隣の笠付角柱型の庚申塔よりもさらに高い。本体は同じくらいだが、基壇の大きさが大きいからではある。

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右端にある小さな角柱型の石塔は巡礼供養塔。文政元年(1818)7月に建てられたものである。浮間村の松澤晩右衛門という人物が西国・秩父・坂東の百箇所および四国八十八箇所の巡礼を達成した記念に、その孫の林蔵が建てたものらしい。ということは巡礼の時期は1700年代であろうか。長い旅を意識してか道標も兼ねていて、「右 いゝつか(飯塚) 川口道」「左 浮間村」とある。飯塚は現在の荒川の左岸の地名、ということは石塔は浮間村の北の方にあったと考えられ、元は子育地蔵堂や北向地蔵堂の辺りにあったのではないかと個人的に推察している。

場所  北区浮間3丁目6

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