« 龍福寺の石仏塔(板橋区小豆沢) | トップページ | 民家の庚申(板橋区小豆沢) »

2021年2月16日 (火)

龍福寺の境内石仏(板橋区小豆沢)

龍福寺には本当に多数の石仏石塔がある。本堂に向かって左手には、板碑や六地蔵、供養塔など様々な石塔が建ち並んでいる。その中から一部を紹介したい。板碑は中世(13世紀~16世紀ころ)に全国のあちこちで造立された。緑泥片岩で造られたものが多いが、この緑泥片岩は主に秩父で産出したものが中心であるため、都内の板碑も埼玉県のものを持ってきて寺院で保存しているものも多い。

P1010540

まず目に飛び込んでくるのは屋根付きの3枚の板碑である。中央の大きな阿弥陀三尊種子の板碑は鎌倉時代中期、建長7年(1255)3月のもので高さが基壇を含め173㎝もある。ほぼ私の背丈と同じくらいだ。右の角がちょっとだけ欠損した板碑は、鎌倉時代後期の延慶2年(1309)5月のもの。左の上部が欠損してしまっている板碑は、南北朝時代初期の建武3年(1336)のもの。

P1010544

その後ろの塀沿いに回り込むと、そこには中小の板碑が4基あった。龍福寺には9枚の板碑があるそうだが、境内にあるのはこれら7基である。残りの2基は寺で別途保管されているという。板碑は庚申塔の前身という一面もあるが、造立された目的は死者の冥福を祈る追善供養や、生前に死後の菩薩のための仏事を行う逆修供養と言われる。生きているうちに自分の供養をするという、まあ都合の良い信仰だと思う。

P1010548

塀沿いに進むと六地蔵が二組あり、これは向かって左側の大きい方の六地蔵である。造立年代は分からない。面白いのは、基壇の下部に願主名が沢山彫られているのだが、ほぼすべて仮名の女性名である。おさん、おつね、おさつ、おせん、おさき、おとよ、おかる・・・など沢山の女性名が記されている。

P1010550

残りの六地蔵はその右手に並ぶ。こちらは天明4年(1784)9月の造立。台石には願主名もあるが、三界万霊、先祖代々一切供養、光明真言百万遍供養、などの文字が刻まれている。

P1010552

六地蔵の脇に塀の隅にへばりつくように一基の庚申塔があった。駒型の庚申塔だがかなり摩滅が進んでいる。造立年は享保19年(1734)1月。日月、青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿の図柄である。右にある文字は「奉造立青面金剛為二世安楽」。左面には「武州豊嶋郡峡領小豆沢村」と書かれているという。この庚申塔は資料によると、板橋区小豆沢4丁目23からの移設とある。ふか坂の坂下、北区との区境の近くであるから、江戸時代は小豆沢村と袋村の村境になる。

P1010515_20210213211601

最後に山門を入ったところにある地蔵菩薩を忘れるところだった。造立年は正徳6年(1716)2月で、台石には武刕豊嶋郡小沢村とあるが、小豆沢村のことであろう。龍福寺には石仏石塔がありすぎてまた時間を掛けてゆっくりと拝観したいと思う。板橋区では板碑の寺として知られており、寺で祀っている薬師如来は、平安時代に寺坂の下まで来ていた七々子崎という入江で発見されたという薬師如来を祀っているようだ。この辺りは平安時代は豊嶋荘という荘園で、潮の上がってくる荒川を通って東京湾と容易に往来できた。

場所  板橋区小豆沢4丁目16-3

|

« 龍福寺の石仏塔(板橋区小豆沢) | トップページ | 民家の庚申(板橋区小豆沢) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 龍福寺の石仏塔(板橋区小豆沢) | トップページ | 民家の庚申(板橋区小豆沢) »