傘屋庚申(北区浮間)
JR埼京線浮間舟渡駅から東へ500mほどのところ、路地の角に瓦屋根の小堂があり、庚申塔が祀られている。なかなかしっかりした堂宇で、瓦屋根も立派なものである。駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が彫られている。
造立年は延享3年(1746)12月。地主川屋と書かれている。川屋というのは本名だろうか。実はこの庚申塔は、俗に「傘屋庚申」と呼ばれ、傘屋の屋号を持った家が造立したらしい。そうすると傘屋の本名が川屋ということになる。 本体の側面にはほかに「青面金剛武刕浮間邑講中七人」と書かれている。
浮間の地名の由来は、人工河川の荒川が掘削される以前の荒川筋(現在の隅田川)がここで大きく湾曲しており、その左岸側に突き出た形が浮島に見えたことからそう呼ばれたらしい。江戸時代は浮間ヶ原と呼ばれていた。浮間村は大正時代になると埼玉県北足立郡横曽根村となり、昭和に入って再び東京都に戻り、北豊嶋郡岩淵村に編入された。そののち王子區となり、戦後北区となる。戦前までは広々とした水田地帯にぽつりぽつりと土地を嵩上げした水屋の農家が点在した風景だったようだ。
場所 北区浮間2丁目24-28
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