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2021年2月28日 (日)

大久寺の庚申塔(北区田端)

大久寺の裏手にはポプラ坂という坂がある。田端は文士村とよばれ、室生犀星、芥川龍之介らが住んでいた。八幡坂の西にある大龍寺は別名子規寺というが大久寺は特にない。しかしこの大久寺、実は小田原藩主大久保家による創建の由緒ある寺である。文禄元年(1592)小田原に創建し、寛永7年(1630)に江戸下谷車坂(電車運転士養成の岩倉高校の場所)へ移転、そして明治36年(1903)にこの地に移転した。

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本堂の左手を進むと裏手に墓所が広がっている。その左手の通路に多くの石仏石塔がある。今回は庚申塔に絞って紹介したい。塀の脇にある駒型の庚申塔。日月の下に「奉供養庚申二世安樂処」とある。造立編は元禄3年(1690)6月。元禄時代にしてはシンプルな庚申塔である。

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実はこの庚申塔、北区の資料によると昔、大久寺の裏手にあった高台寺の寺域に所在したものらしい。それを千五になって大久寺の境内に移設したという。江戸時代の切絵図を見ると「上台寺」という寺が書かれている。現在ではなぜかその場所には田端日枝神社が鎮座している。日枝神社の由緒には上台寺を開山した斎藤坊が上台寺境内に寛永元年(1624)に日枝神社を創建したとあるので、高台寺は上台寺の間違いであろう。

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もう一つの庚申塔は庚申塔の基壇(台石)のみである。描かれているのは不思議な二猿のみ。上部の水鉢の後ろの部分に庚申塔が立っていたが、主尊部分は戦災で焼失してしまった。この二猿の造形は引き込まれてしまうような魅力がある。正面には「奉造之庚申本尊二世也守修」とあり、慶安3年(1650)10月という年紀がある。とても古いもので北区内では二番目に古い。戦災で失われたのが残念である。

場所  北区田端3丁目21-1

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