« 妙義神社の庚申塔(豊島区駒込) | トップページ | 大龍寺の庚申塔(北区田端) »

2021年2月26日 (金)

円勝寺の石仏(北区中里)

現在の山手線に一ヶ所だけ踏切があるのをご存じだろうか。鉄チャンなら皆知っていることだが一般には意外に知られていない。その踏切があるのは駒込駅と田端駅の間。しかし古い地図を見ると、初期にはここは踏切ではなく架橋になっていた。現在の宇都宮線(高崎線)のレールがもともとの山手線である。大正時代に既設の軌道を越えて山手線が田端駅に向かうために複々線となり踏切が出来たのだろう。「第二中里踏切」という名のこの踏切にはもちろんかつて第一があったが廃止になった。踏切には「山手線19K616M 巾員4.8M」とある。しかし10年後をめどにこの朝夕開かずの踏切も廃止されると聞いた。

Cimg1110

踏切から線路沿いに上るのが庄内坂。庄内坂に沿って円勝寺の境内墓所がある。円照寺の創建は不明、鎌倉時代後期からあったようだが、城郭を広げる前は江戸城内にあった。この場所は茶道伊佐家の墓所となったが、いつから現在の形になったかは分からない。伊佐家は江戸幕府の茶事を行う数寄屋頭を務めた家柄で、大名にも大きな影響力があったという。

Cimg1094_20210222195401

門前には大きな角柱型の庚申塔がある。造立年は宝暦8年(1758)10月。上部に日月、その下には大きく「庚申塔」と書かれ、下部に三猿が彫られている。台石にはこれも大きく「講中」とある。なかなか豪快な庚申塔である。宝暦年間には庚申塔は駒型で青面金剛像を尊像とした形が定着していたのだが、1700年代終わりに近い天明年間あたりから文字塔が増える。時代を先取りしていたのだろうか。

Cimg1098_20210222195401

本堂の右奥には無縁仏塔があり、その先にいくつかの石仏が並んでいる。一番奥にあるのが丸彫の聖観音像で、なかなか見事なプロポーションで尊顔もすばらしい。しかし基壇の文字が読めないので、年紀も分からない。

Cimg1099

その横には舟型光背型の地蔵菩薩と聖観音がある。聖観音の方はかなり欠けているが、元禄14年(1701)5月の年紀は確認できる。後ろの黒い材の地蔵菩薩は「奉庚申一座供養二世安樂成就也」とあり庚申講中による地蔵であることがわかる。造立年は承応3年(1654)9月で、まだこの時代は主尊が混乱していたのでいろいろなタイプがある。この地蔵はもとは前述の踏切の辺りにあったのを境内に祀ったと伝えられる。

Cimg1103

その手前には地蔵菩薩坐像がある。造立年は天明元年(1781)11月。天明元年は4月2日に始まるので天明ほやほやの地蔵菩薩である。台石には「奉造立念仏地蔵」とあり、おそらく念仏講中によるものだろう。

ちなみに駒込から田端の間の山手線が谷を走っているのは、明治時代に敷設した折、20m近い高低差を緩やかな傾斜にするために彫られた切通しである。踏切の位置が元々の台地の標高になる。

場所  北区中里3丁目1-1

|

« 妙義神社の庚申塔(豊島区駒込) | トップページ | 大龍寺の庚申塔(北区田端) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 妙義神社の庚申塔(豊島区駒込) | トップページ | 大龍寺の庚申塔(北区田端) »