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2021年2月 7日 (日)

北向地蔵堂(北区浮間)

現在の荒川の下流は明治の末から昭和の初めまで20年を掛けて開削された人工の川である。東京(江戸)の水の歴史は徳川家康が江戸入りしてから昭和になるまで続いた治水の歴史と言える。多摩川も荒川も昔は暴れ川で、その為対岸にも同じ地名が残っている。北区浮間の対岸には川口市浮間ゴルフ場がある。30数年前に初めてバーディーを取った私の記念すべき河川敷ゴルフ場だが、もう四半世紀ゴルフはやっていない。砂だらけのゴルフ場で、草は殆どなかった記憶がある。

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東京都側もここはスーパー堤防が出来ていて、まるで山のような堤防が続いている。それでもカミソリ堤防よりはましであろう。そのスーパー堤防の近くに北向地蔵堂がある。ここの地蔵と庚申塔は、昔はここより100m程北、現在は荒川の河川敷になっている辺りで、河川の掘削工事の折に移動したもの。大正11年(1922)に現在地から南に40mほどのところに移された後、昭和30年(1955)2月に現在地に移されたという。

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中央の丸彫地蔵菩薩が北向地蔵である。地元では「疣取(いぼとり)地蔵」とか「身代り地蔵」と呼ばれているらしい。造立年は享保6年(1721)で、昔は庚申塔と共に浮間村の北の入口に北向きに建てられていた。つまり塞ノ神として村境を守っていたのである。右の駒型庚申塔は右上が少しだけ欠損している。造立年は宝永2年(1705)10月。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、「講中為二十一人二世安穏」とあり、武州下足立郡平柳之内浮間村 願主 西念の銘がある。当時は荒川よりも北の土地だった。昔、浮間村には、五大、西、東という3つの洞(ホラ)と呼ばれる小字があり、洞単位で庚申講中が組まれていた。この庚申塔は五大の洞によるものだという。

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地蔵の左側にはもう一基の駒型庚申塔。造立年は安永6年(1777)2月で、こちらも日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄である。右側面には「浮間村講中」とある。この庚申塔は3つの洞のうちどの洞によるものかは分からない。その後ろにあるのは阿弥陀三尊種子の月待供養の板碑。造立は文明16年(1484)8月23日。応仁の乱の直後である。二十三夜講の結衆による造立で、庚申講や念佛講よりも200年も前に月待講があったようだ。この板碑は大正11年(1922)に河川改修工事の折、氷川神社の近くで掘り出されたという。上流から流されたものか、この地で造られたものかについては分からない。

場所  北区浮間2丁目4-14

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