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2021年2月 2日 (火)

給田観音堂の石仏(1) (世田谷区給田)

国道20号線(甲州街道)に並行して昔からの甲州街道が各所に残っている。世田谷区から仙川を渡って調布市に入るが、その世田谷区側に給田観音堂がある。旧甲州街道から南へ路地を入った京王線の線路脇である。昔はもっと広かったらしいが、住宅開発で今の広さまで狭まったようだ。創建は不詳だが、江戸時代に徳川家息女の庵室だったと伝えられる、古くは旧甲州街道沿いにあったが、街道を通る徳川家関係者は馬を下りなければならず、その煩わしさから今の位置に移ったというのは面白い。

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観音堂の前に数基の石仏が並んでいる。一番観音堂側にあるのが舟型光背型の庚申塔で、造立年は延宝8年(1680)とある。月のところが欠けていて分からない。上部に日月、そして主尊は一猿である。このパターンは珍しい。下部には7名の願主名が刻まれている。中折れしたのを補修してあるが、昭和中期の写真でも中折れしている様子なのでそれ以前の傷だろう。

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その隣にある巨大な石塔は宝篋印塔型の三界万霊塔である。宝篋印塔というのは塔の形態で、五重塔のような先っぽの「相輪」、その下に「笠」「塔身」そして「基礎」となっている。三界万霊塔はよく寺院で見かけるが、欲界(食欲や性欲等の世界)、色界(物質の世界)、無色界(欲も物質もない世界)の三つの世界を指す。一言でいうと「生きとし生けるものの供養塔」という感じだろうか。この三界万霊塔は宝永4年(1707)3月のもの。

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その左にあるのは光明真言供養塔。造立年は安永6年(1777)仲冬とあるので11月である。密教では神秘性を保持する為に梵字や陀羅尼を翻訳せずにそのまま読むのが習わしで、光明真言もその陀羅尼のひとつだというが、私にはよく分からない。密教における念佛供養塔と考えても良いだろう。塔の側面には「武刕多摩郡給田村  惣村講中」とある。

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その隣は、大乗妙典廻国供養塔。大乗妙典というのはいわゆる法華経で、これを一定の回数読経した記念に建てるものや書写して納めるものなどいくつかのパターンがある。この塔は中央に「奉納大乗妙典日本廻国」とあり、側面に文政4年(1821)仲冬(11月)と刻まれている。また反対側には「武刕多摩郡給田邑  行者長左衛門」とあるので、裕福な行者が建てたものだろうか。

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上の写真はその隣にある角柱型庚申塔だが、笠が無くなっている。塔身の脇も掛けていていささか無残なものがある。造立年は宝永5年(1708)10月。正面には日月が描かれ、「奉供養庚申」と書かれている。側面には蓮葉が描かれ、「武刕世田ヶ谷領内給田村」とある。笠欠も傷も昭和中期から変わっていないので、戦災によるものだろうか。

以上が観音堂前に並ぶ主な石仏である。

場所  世田谷区給田3丁目15-20

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