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2021年2月20日 (土)

上中里庚申堂<下>(北区上中里)

京浜東北線の上中里は王子と田端の間にあるが人々の記憶にはあまり残っていない駅。しかしここにはかつて平塚城という館城があった。別名豊嶋城といい、平安時代後期から豊嶋氏の城(室町時代中期から本拠地は石神井城)として存在し、太田道灌に攻め落とされる文明10年(1478)まで続いた。そのあとにあるのが平塚神社であり、その脇の蝉坂もなかなかの名坂である。

上中里の江戸時代前期の地名は宮外戸(みやがいと)村。宮は平塚神社を意味している。江戸時代中期の元禄の頃から上中里村という呼び名になったがその理由は不明。明治になると上中里村、西ヶ原村、滝野川村、田端村、中里村が合併して滝野川村となり、大正時代には町制へ、昭和に入ると滝野川区となり、戦後王子区と合わせて北区になったという経緯である。

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上中里は崖の町で、崖上が一丁目、崖下が二丁目と三丁目になっている。大正時代までの崖下は遥か彼方まで水田地帯で、崖上はいわゆる街になっていた。崖下は京浜東北線の周辺のみに民家が広がっていた程度だった。その崖下にある庚申堂には3基の庚申塔が祀られている。

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堂宇の中にあるのが駒型の庚申塔で、摩滅が進んでおり造立年は分からない。日月も不明で、青面金剛像と三猿はきれいに残っている。三猿が菱形なので江戸時代中期以降のものの可能性が高い。正面下部に「施主」「おふへ」という文字のみが確認できる。この堂宇に安置される以前は、現在のJR線路内の石神井川下郷用水側にあったとされるが、位置的にはこの近くである。この用水路はかつて線路沿いに流れ、日暮里駅東側の芋坂下の羽二重団子店と向かいの善性寺の間の街道脇を流れていた石神井川の分流である。

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堂宇の左右には別の庚申塔があり、向かって左側は笠付角柱型の武骨な庚申塔。正面、左右面にそれぞれ一猿があり、正面には「奉造立庚申塔」そして脇に「為二世 安樂也」と書かれている。造立年は寛文5年(1665)8月29日とある。側面にも文字らしき痕跡があるが読めない。

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堂宇の右側にも同じような笠付角柱型の庚申塔がある。こちらの造立年は寛文5年(1665)と同じだが9月と書かれている。とはいえほぼ同時期と見て差し支えないだろう。こちらも正面と左右面にそれぞれ一猿があり、正面には「奉建立庚申塔爲二世安樂也  逆修」とある。また日付の下には宮外戸村とあるのは、前述した上中里村の江戸時代初期の名前。これら両脇の庚申塔も以前は用水路の側にあったらしい。江戸時代鉄道がない頃は、蝉坂がここまで急な下り坂で、下りきると用水路を渡っていた。その脇にあったに違いない。

場所 北区上中里2丁目25-4

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