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2021年2月 3日 (水)

給田観音堂の石仏(2) (世田谷区給田)

観音堂の線路側に墓所がある。さほど広くはない墓所で、総面積は250坪ほどだろうか。給田観音堂との間には万年塀が立っており、観音堂川の石仏と同じく、万年塀を背にして多数の石仏が並んでいる。

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右の7基は墓石と思われる。その先からは、庚申塔、庚申地蔵、念佛地蔵など、江戸時代のこの地域の民俗信仰の遺産が並んでいる。これだけ保存されているのは大したものである。

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まず上の写真の右側の笠付角柱型の庚申塔。最上部の宝珠もきちんと残っている。正面には日月に加えて「奉供養庚申」と文字がある。その脇には造立年の宝永5年(1708)10月が刻まれている。側面には一葉の蓮華があり、「武刕世田谷領内給田村 同行三拾人」とある。左側の笠付角柱型の石仏は庚申塔ではなく、大乗妙典六十六部供養塔。造立は宝暦3年(1753)3月。法華経に関係する供養塔である。側面に「肥前国長崎  清誉浄円」とあるが、長崎との関係は分からない。

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その横は駒型の庚申塔である。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、「奉造立庚申  給田村」の銘がある。造立年は寛延元年(1748)11月で、下部には8名の願主名が彫られている。隣りの地蔵菩薩立像の造立年は不詳だが、基壇に「世田谷領給田村 庚申講中」とあるので庚申講中の建てたものである。またその横には「光明真言 供養仏 願主 即じゃう」とあるので、真言宗系のものだろう。

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次に上の写真の右側は面長の地蔵菩薩立像。向かって右面に「奉造立念仏供養六道能地蔵尊」とある。基壇には「武刕多摩郡給田村」の銘。像身の脇には享保元年(1716)11月の年紀があるが、基壇には「宝暦3年(1753)10月 奉造立地蔵尊壱体  惣村女中念仏講中」とある。後に台石が入れ替わってしまったのだろうか。左側の地蔵は基壇に「世田谷領給田村 庚申講中」とあるので庚申地蔵だろう。これも光明真言と彫られている。造立年は享保4年(1719)10月である。

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その隣もまた面長の地蔵菩薩。造立年は不詳。基壇には「世田谷領給田村 庚申講中  光明真言 供養仏  願主 即じゃう」とある。前述の庚申地蔵と同じ講中によるものだろうか。左側は黒い材を使っているのが汚れたのかは分からない。造立年は享保元年(1716)11月。側面に「奉造立庚申供養為二世安樂也」とあり庚申地蔵。台石には「講衆給田村 十二人 敬白」とある。

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次は丸顔の地蔵。造立年等は分からない。台石には「給田邑中  念仏供養」とある。そしてその左、かなり黒っぽいのはここでは珍しい聖観音立像。造立年は享保元年(1716)霜月(11月)とある。下部には12名ほどの願主名が刻まれ、脇には「奉納一百箇所札 成就供養所」とあるので、秩父西国坂東百箇所を意味しているのだろう。

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左端は台石があるものの肝心の石仏はない。これは昭和の中期からないことが写真からわかっている。右側の地蔵菩薩は造立年不詳。台石には「講中同 四十八人  之女人」とあるので、女念仏講中だろうか。こうしてみると、ここの石仏は享保年間のものが極めて多い。享保年間が江戸時代の中でも21年迄と最も長いこともあるだろうが、江戸時代の中期で経済的にも庶民が最も元気があった時代である。

場所  世田谷区給田3丁目15-7

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