« 清徳寺の石仏(品川区北品川) | トップページ | ゼームス坂下の馬頭観音(品川区南品川) »

2021年3月 7日 (日)

日本ペイント構内の道標(品川区南品川)

日本ペイントという会社は塗料メーカーの大手。ニッペという呼び名で親しまれているが、塗料メーカーのとしては第1位で、2位の関西ペイントの倍、3位のエスケー化研の5倍と、断トツの存在だというのを初めて知った。南品川にはこのニッペの本社と工場がある。

Cimg1189

工場の入口を入った所の植込みの中に、「享保二十一年銘道標」がある。反対側にある守衛室に挨拶をしてから道標を拝見する。造立年は享保21年(1736)3月で角柱型。正面に刻まれているのは「かう志んこう中」、これは庚申講中という意味である。向かって右面には「めくろ道(目黒道)」、左面には「ひ文や道(碑文谷道)」とあり、裏面には年紀が記されている。このさりげない道標は品川区の指定史跡になっている。

東海道から南馬場通りを経て目黒に至る道が、碑文谷道と分かれる地点に建てられたというが、その場所はほぼ現在地である。造立したのは南品川の庚申講中である。

Cimg1191

この門から西へ進むと、明治時代に出来た煉瓦塀の建物がきれいに残されていて、ここだけが昔のままという雰囲気だが、これは日本ペイント明治記念館として博物館になっている。これをさらに西に進むと工場敷地の西端になり、その先が新橋横浜間の汽車が走った時代からのガード。このガードの名前が「碑文谷ガード」という。なぜ品川に碑文谷?と見た人は疑問に思うだろうが、工場の辺りで目黒への道と碑文谷への道が分岐しており、こちらは碑文谷道だったからである。ちなみに昔はガードではなく踏切で「碑文谷踏切」と呼ばれ悲しい事故もあったらしい。

この辺りは江戸時代の切絵図には三竹耕地と書かれている。この北にある、山手通りから第一三共品川工場に渡る人道橋の名前が「三嶽橋」だった。三竹、三岳、三嶽などの名が史料には見られるが、江戸時代この辺りは筍の産地で、農民たちが御嶽権現を祀った神社があった。それが起源の地名である。

場所  品川区南品川4丁目1-15

|

« 清徳寺の石仏(品川区北品川) | トップページ | ゼームス坂下の馬頭観音(品川区南品川) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 清徳寺の石仏(品川区北品川) | トップページ | ゼームス坂下の馬頭観音(品川区南品川) »