西品川文政十一年道標(品川区西品川)
大井町駅の北西側一帯は大正時代から鉄道基地である。当初は国鉄大井工場、民営化後は当然ながらJR東日本大井工場だが、この基地は権現台という明治時代までは権現台という目黒川、戸越銀座の川、立会川の間の舌状地を開削して工場用地としたもの。その先の波打ち際は仙台坂下の南品川宿で、舌状地の台地から下りきると東海道という地形である。この辺り一帯が農地だったころは、南品川宿二日五日市入会と切絵図にあるので、南品川宿の資源としての共有地だったと考えられる。
南北二本の舌状地のうち南側は権現台として南品川宿まで伸びていたが、北側の舌状地はこの基地の西の辺りで目黒川低地になって終わっていた。その舌状地を形成した南側の川は現在の戸越銀座で、現在の商店街はかつての川の流れである。この戸越銀座商店街の谷が平野に出る突端に妙光寺があり、その隣に国鉄東京南局大崎寮があった。その南側の道に今も道標が残されている。
現在は建替えてスクエア大崎というマンションにはなっているがこれもJR東日本の寮として続いている。この道標の正面には「東ハ品川」、右面は「めくろ」、左面は「左 三ツ木 戸こへ」とある。この前の道を現在も三ツ木通りというが、かつての字名は南三木、三木鎗崎だった。少し西には今も区立三木小学校がある。槍崎というのは舌状地だったことの証の地名であろう。戸こへというのは戸越のことである。道標の造立年は文政11年(1828)3月で、松原氏の銘がある。
場所 品川区西品川1丁目6-12
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