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2021年3月24日 (水)

長龍寺の石仏(杉並区高円寺南)

高円寺南の通りに並ぶ寺は西から、西照寺(曹洞宗)、松応寺(曹洞宗)、宗泰院(曹洞宗)、長龍寺(曹洞宗)と四寺院共に曹洞宗の寺院である。このうち東の2寺(宗泰院、長龍寺)は市ヶ谷左内町の左内坂上にあったものを陸軍施設を建設する為にこの地に移転させられた。現在はそのまま自衛隊の市ヶ谷駐屯地(現防衛省)で軍施設のままである。

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山門前にあるのは2体の地蔵。大きい方の地蔵菩薩坐像は造立年不詳ながら左内町から移転したもの。左の小さな地蔵立像は分からない。座像の方には、「常燈明 本施主 舘藤助 永代毎月 油一升宛 伊勢屋 宗七郎 同万人講中」とある。永代毎月油一升を門前の明かりのために提供するとはずいぶんなお布施である。またこの山門は本堂と共に市ヶ谷から移設したもので、元文2年(1737)の建立で素晴らしいものである。

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本堂手前の左側には大きな堂宇があり、その中央には尊顔の摩滅した地蔵菩薩が祀られている。これは「豆腐地蔵」と呼ばれ、造立年は宝永5年(1708)8月、かつては山之手二十八番地蔵の第十一札所とされていた地蔵だという。これも当然ながら市ヶ谷左内町からの移転で、この地蔵は杉並区の指定文化財になっている。

豆腐地蔵については、「左内坂下の豆腐屋に、夕暮れ時になるとみすぼらしいお坊さんが豆腐を買いにやってきた。ところがもらったはずの銭が後で見ると木の葉になっている。豆腐屋がお上に訴え、寺社奉行の役人が張り込んでいると、そのお坊さんがやってきた。役人が声を掛けると逃げ出そうとしたので抜き打ちに太刀を浴びせた。するとお坊さんは消え、血の付いた小さな石の欠片が転がっていた。血の付いた欠片を辿ってみると長龍寺の門前の地蔵様に辿り着いた。よく見るとお地蔵様の右耳が欠け、頬には切り傷があり、役人をじっと見つめているのであった。役人は深く後悔して出家し、お地蔵様に豆腐を供えて丁重に供養を続けると、豆腐屋は大繁盛するようになり、地蔵はやがて商売繁盛の護り地蔵として信仰を集めるようになった。」という言い伝えがある。

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地蔵堂の前にあるのは、地蔵菩薩の半跏像と舟型地蔵立像。右の舟型地蔵は文字が摩滅していて判別が出来ず、造立年も分からない。左の地蔵半跏像は豆腐地蔵と同じ宝永5年(1708)8月の建立だが、江戸時代に壊れたのか、明和5年(1768)7月に再建とある。台石にはいろいろ書かれているが、「今歳明和五戌子天七月再建立供養日」とある。区の資料にはないがこれも左内町からのものであろう。

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墓所に回ると、質の良い聖観音像や如意輪観音像がならぶいささかセレブな無縁仏塔がある。上段の右にあるシンプルな角柱には「火災横死之霊」とあり、明和9年(1772)の造立である。どうやら目黒行人坂大円寺から出火して2万人近い犠牲者を出した江戸三大火災のひとつを供養したものである。

場所  杉並区高円寺2丁目31-2

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