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2021年3月22日 (月)

馬橋庚申堂(杉並区高円寺南)

高円寺南にある路傍の堂宇だが、江戸時代の切絵図を見ると高円寺村から桃園川を渡り阿佐ヶ谷村に入った辺り。江戸時代終わりから明治の初期の地図を見ると馬橋村になっている。この辺りは桃園川の支流が南から北へ向かって流れ、それを利用した天保新堀用水が通っていた。明治初期の地図では水源は南阿佐ヶ谷の成宗須賀神社の傍にあった湧水池で、今も須賀神社には弁天様がある。堂宇前の道は江戸時代からある村道で現在の阿佐ヶ谷駅前と東高円寺駅の間を結んでいた。

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ゴミネットがいささか見苦しいが堂宇は立派なものである。中には2基の庚申塔が祀られており、右端に石柱があって、「馬橋庚申堂 昭和48年6月建立」とある。勿論庚申塔はそれよりはるかに古い。庚申堂の近くを流れていた新堀用水は、田植えの時期になると馬橋、高円寺、中野辺りで水不足が生じるため、天保12年(1841)に善福寺川から引水して整備された用水路であった。

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左側の板碑型庚申塔は延宝元年(1673)11月の造立で、下部に三猿が彫られている。中央には「奉供養為庚申講二世安楽」とある。馬橋村 十郎左エ門他11名の願主。右側の駒型の庚申塔は享保元年(1716)10月のもの。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、「奉造立供養庚申  馬橋村 道行17人」とある。向かいの民家の隅切り部分には庚申塔にまつわる遺跡の石柱が立っている。昭和中期の住所変更で馬橋の名前は消えてしまったが、この庚申堂をはじめ西側にある馬橋通りなどに残って息づいている。

場所  杉並区高円寺南3丁目27-1

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