宿鳳山高円寺の石仏(杉並区高円寺南)
宿鳳山高円寺は高円寺の地名の由来になった寺である。開山は弘治弘治元年(1555)で曹洞宗の寺院。昔、ここは桃の木が多くあったことから桃園と呼ばれそれが桃園川(現在は暗渠)の由来となった。江戸時代、徳川三代将軍家光が鷹狩りの折、本堂裏の高台の茶室で休憩をしばしば、その折に元から小沢村という地名だったのを寺の名を取って高円寺村とせよとしたと伝えられる。
境内は桃園川の左岸の段丘にあるため南の展望が開けていた。寺は江戸時代に二度、そして明治、昭和と焼失し、現在の本堂は昭和28年に再建されたもの。本堂手前の左手に地蔵堂がありいくつかの石仏が祀られている。
左端は角柱型の庚申塔かと思ったが調べてみると六面幢の六地蔵菩薩像であった。戦災でこんなひどい姿になってしまったようだが、資料によると寛文4年(1664)3月の造立らしい。その隣は昭和26年(1951)6月の地蔵菩薩立像で足元に二童子がいる。「桃園子育地蔵」と呼ばれているようだ。右から2番目は三猿の石像で可能性としては庚申講中によるものと考えられなくもない。年紀は刻まれていない。一番右は造立年不詳の布袋像である。将軍がらみの由緒ある寺だけに民間信仰の石仏は多くないのだろう。
場所 杉並区高円寺南4丁目18-11
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