« 中野氷川神社の石仏(中野区東中野) | トップページ | 六所神社の庚申鳥居(世田谷区野毛) »

2021年4月10日 (土)

覚願寺の石仏(世田谷区上野毛)

30年くらい前に上野毛に住んでいたことがある。長女をどの幼稚園に通わせるかという選択肢に、覚願寺経営のすずらん幼稚園があった。結局選ばなかったのは、住んでいた家が崖線下であったためで、毎日急坂を上下するのはしんどいという理由であった。そんなわけで個人的にも昔から知っている寺院を改めて訪問するのも何となく新鮮な気持ちであった。

Cimg1472

覚願寺の山門はとても立派なものである。寺の創建は天文年間(1532~1555)より前だが当初は崖線下にあったらしい。しかし文禄3年(1594)には現在の地に移っているようである。山門は昭和63年(1988)に再建されたものだが、本堂と観音堂は天保年間(1830~1843)に再建されたもの。この山門前に石仏が並んでいる。

Cimg1456

左端の地蔵菩薩については文字もなく情報もないので全く分からない。中央左が駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿、二鶏が描かれている。造立年は元文6年(1741)2月。上野毛村の銘がある。中央右は駒型の馬頭観音で、造立は馬頭としては古く寛延4年(1751)3月。上野毛村の銘とともに願主名として何人かの田中氏が名を連ねる。上野毛には田中家が多く、当時の住居の大家さんも元農家の田中さんだった。五島屋敷(美術館)の前に立派な名主屋敷があるがそれが田中家である。一番右の小さい石塔は「牛馬の墓」とあり木村銀次郎建立とあるが出所は不明。

Cimg1469

墓所の入口には六地蔵が並んでいる。もしかしたら再建されたものかもしれないが、台石によると、文化3年(1806)8月のもの。願主は田中庄右衛門と木村平右衛門。木村家も田中家に準ずる名家である。特に田中家は世田谷城主吉良氏家臣の末で特別な名主だった。田中家と覚願寺の間、稲荷坂の東側にある自然公園は昔、桜楓園という田中家所有の庭園だったという。また覚願寺と環八の間の土地は昭和30年代まで牧場で乳牛が30頭ほどいたのどかな土地であった。

場所  世田谷区上野毛2丁目15-15

|

« 中野氷川神社の石仏(中野区東中野) | トップページ | 六所神社の庚申鳥居(世田谷区野毛) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 中野氷川神社の石仏(中野区東中野) | トップページ | 六所神社の庚申鳥居(世田谷区野毛) »