小松原阿弥陀堂の石仏(板橋区成増)
小松原阿弥陀堂は新座郡白子村(現在の埼玉県和光真白子2丁目)にある地福寺の境外仏堂と墓所。地福寺は東武東上線・有楽町線から見える線路脇の寺院である。開山は平安時代と古く、その境外仏堂である阿弥陀堂は鎌倉時代後期の1300年代初め頃に作られたと推定される。
仏堂の前には三界万霊の無縁仏塔があり、その頂上には造立年不詳の地蔵菩薩立像が立っている。ほぼすべてが墓石のようだが、青面中央最下段の石仏だけは庚申講中によるもの。コンクリートで固められているので側面に何が書かれているのかは分からない。
おそらく元は舟型光背型の地蔵菩薩立像だったのだろう。上部は大きく欠損しているが、資料とも合わせて読み取ると、「奉造立庚申供養處 武刕豊嶋郡赤塚成増村 同行十三人」とあるようだ。造立年は元禄15年(1702)11月とある。白子川の対岸にある地福寺がどうして成増村のこの台地上に境外仏堂を持つのだろうか。推測するに、台地の端の成増村前新田の人々は日々白子川沿いの田んぼで農耕を行っていた。その対岸には平安時代から地福寺があった。こちら側の里の寺である青蓮寺は開創が江戸時代の元禄期で時代はずっと後である。しかも青蓮寺は当初現在の新高島平駅前あたりにあり、台地上に来たのはずっと後のこと。そういう経緯でこの地域は地福寺の檀家地区だったと考えられる。
場所 板橋区成増4丁目7-20
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