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2021年4月30日 (金)

上赤塚観音堂の石仏(板橋区赤塚)

赤塚城址の南西300m程の所にある墓所。曹洞宗松月院の境外仏堂があり上赤塚観音堂という。創建は寛文年間(1661~1673)と言われ江戸時代の初期である。明治時代の地図を見ると寺のしるしではなく墓地のマークが付いている。この辺りは石成という小字で、風土記稿成増村の項に「元赤塚村の内なり、後分村して石成村といへり」とあるらしい。西にある清涼寺の山号が石成山であることから中世のこのあたりの地名だったようだ。

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観音堂前には古い庚申塔や石仏が並んでいる。上の写真の右手前にある水鉢は浸食で時代を感じさせる様子になっており、造立年も延宝7年(1679)6月、「奉寄進観音堂 上赤塚村」と書かれている。奥にならぶ6基の石仏の内、塀を背にしている3基は尊像が異なるもののどれも庚申塔である。

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右から、庚申塔としては極めて珍しい舟型光背型の薬師如来像。造立は延宝4年(1676)2月と古く、観音堂創建直後のものである。「奉造石薬師如来像供養庚申爲二世安楽者也」とある。二番目のトンガリ烏帽子っぽいのは聖観音菩薩像の舟型光背型庚申塔。造立年は寛文12年(1672)2月。「奉造立庚申供養観世音菩薩」とあり、「武州豊嶋郡赤塚村 尊像為現當二世安楽者也」と左側に書かれている。

右から三番目は舟型光背型の阿弥陀如来像。造立年は延宝8年(1680)11月で、「奉造立庚申爲二世安楽也」とある。下部には願主名と蓮座。石成地区には下田姓が多いが、奥積、谷、松田、並木などの名前も他の石仏の願主名にはあり、比較的多様。向きの違う左の舟型光背型の地蔵菩薩像は庚申塔ではなく、念仏供養とあるので念仏講によるものだろうか。造立年は寛文11年(1671)2月。

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ここの石仏はどれも江戸時代初期の古いもので感心するが、一番古いのは入口脇にある板碑型の庚申塔である。下部には三猿が陽刻されている。中央には「奉庚申供養現當二世安穏處」と書かれており、下部には星野五郎佐衛門の名前がある。造立年は寛文7年(1667)11月。石成には古くから人々の営みがあったのだろう。赤塚城址一帯は遺跡の宝庫で縄文、弥生、古墳時代から中世の城跡迄が埋没しているので、その歴史から見れば江戸時代初期もごく最近のことに見えてしまう。

場所  板橋区赤塚5丁目26-23

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