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2021年4月 6日 (火)

宝泉寺の石仏(中野区中央)

中野区にある宝仙寺は大伽藍の真言宗寺院。戦前は境内に中野町役場もあった。寛治年間(1087~1094)平安時代後期に源義家によって阿佐ヶ谷で開山、室町時代の1429年に現在地に移転している。阿佐ヶ谷の場所は現在まで世尊院として残っている。また大宮八幡宮の別当寺でもあり、江戸時代は将軍家とのつながりも深く高円寺と共に鷹狩りの休憩地となっていた。

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江戸時代徳川吉宗が長崎から象を江戸に連れてきたがその象の骨と牙は宝仙寺に祀られている。境内には本堂のほかに三重塔や仁王像が見下ろす大山門などがあり、本堂と三重塔の間に朱塗りの御影堂(みえどう)がある。この御影堂には弘法大師像が祀られているらしい。石仏の多くは御影堂の脇と、その裏手の崖下に集められている。崖下は墓所になっており、この一角だけが広い窪地となっている。北側にはかつて桃園川が流れており、スリバチ地形になっているが、おそらくは宝仙寺近くに湧水がありそこから沢が桃園川に流下していたのだろう。ちなみに宝仙寺の東側を下るのは犬坂という宝仙寺に所縁の深い坂である。

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大寺院宝仙寺も例に漏れず、墓所への入口には六地蔵が並んでいる。この六地蔵は寛保4年(1744)2月に建てられたものであるが、右の3体と左の3体では石材の質が異なる。おそらく左の方は後年再建されたものではないだろうか。六地蔵脇には明治41年(1908)3月奉納の敷石供養塔がある。

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六地蔵の後ろには大型の地蔵菩薩坐像やスマートな地蔵立像が並んでいる。この地蔵立像は「くさよけ地蔵」と呼ばれるもので、創建年代は不明だが、首が落ちたのを昭和10年(1935)に修復したと台石に記されている。くさよけ地蔵は何を身代りしてくれるのだろうと調べてみたが、おそらくはいぼとり地蔵などと同じく疱瘡治癒を意味するのではないかと思われる。「くさ」は瘡と書きできものやただれを指すらしい。

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崖下に下りていき御影堂の裏手に回り込むと数えきれないほどの石像石柱が並んでいる。多くは供養塔だが、中には庚申塔なども混ざっていてひとつひとつ見ていっても飽きない。無縁仏の最上段にあったのが、笠付円柱型の庚申塔。日月、青面金剛像、三猿が描かれており、造立年は元禄2年(1689)11月。「武列中野村下町講中敬白」「奉供養庚申講為二世安樂 講中十四人」とある。

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下の方にあったのが笠付円柱型だがどこか宝篋印塔にも似た立派な庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿、二鶏が描かれており、「奉供養庚申講為二世安樂」「講中三十二人」とある。造立年は不詳だが、「武刕多麻郡中野村中宿講中敬白」とあり、中野区の文化財資料にはこの庚申塔だけが記載されていた。その資料では五輪塔と分類されていた。

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その先にあるのが笠付角柱型の庚申塔で、正面にはびっしりと漢文が刻まれており庚申の話を説明していて下部には三猿が陽刻されている。造立年は寛文9年(1669)仲夏(5月)とある。古いものなので、まだ青面金剛が主尊ではないのだろう。宝仙寺にはこれら以外にも多くの石仏があり、どれも古いもので感心する。祀る主尊も大日如来、薬師如来、不動明王、などさまざまである。

場所  中野区中央2丁目33-3

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