阿弥陀堂前の道標庚申(板橋区成増)
成増台地の北西の端、小さな谷地形が多く、台地の下は白子川流域低地の広い田んぼだったのは昭和の中頃まで。それ以降は団地が立ったりして人口が急増した現在の成増4丁目だが台地上には屋敷神を持つ古い家も多い。この辺りは戦前は前新田と呼ばれた地域で、西の成増菅原神社が村の鎮守、東の青蓮寺がその別当寺となっていた。
この辻は江戸時代からある古い道同士の交差点であったから、ここに庚申塔と道標があるのは自然なこと。右の駒型の庚申塔は寛政9年(1979)4月の造立で、日月は線刻、青面金剛像、邪鬼、三猿が陽刻されている。向かって右面には年紀と「東 下赤塚道 南 江戸道 講中十八人」と書かれている。反対の側には「西 白子道 北 吹上道 願主 成増村 田中新右衛門 同 与兵衛」とある。
横に立つ角柱は後年建てられたもので、正面には「大典紀念 右 赤塚ヲ至赤塚役場通 前 停車場道 左 白子村吹上観音道」、右には「大正十四年十一月」、左には「帝國在郷軍人會赤塚村分會」とある。吹上観音は現在の和光市役所のとなりにある古い東明寺という寺で、もともとは行基が開創した吹上観音堂から始まったもので広域から信者が集まっていた。
場所 板橋区成増4丁目17-5
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