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2021年4月12日 (月)

善養寺の石仏(世田谷区野毛)

野毛という地名の意味は「崖」らしい。六所神社に隣接して崖線上に境内を持つのが真言宗の善養寺。創建は慶安5年(1652)でもとは深沢村にあったものが慶安年間に移転してきたと伝えられる。この善養寺の崖下にはかつて野毛の渡しという渡し船があった。

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境内のちょうど崖の上に当たるところには榧(かや)の大樹がそびえていて高さは20mほどある。昭和39年(1964)に東京都の天然記念物に指定された御神木である。言い伝えによると善養寺が深沢村から越してきた時にはこのカヤの樹はすでにあったようだ。寺には発掘された板碑があり、青梅から多摩川に沿って大田区六郷までを繋いでいた筏道などにあったものだろう。

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本堂裏手には多くの無縁仏が集められている。その中に極めて古い庚申塔があった。舟型光背型の庚申塔だが、主尊は地蔵菩薩立像、その下に三猿が彫られている。造立年は寛文8年(1668)霜月(11月)とあり世田谷区では上馬の宗円寺の庚申塔に次いで3~4番目に古いものである。右上には「庚申待供養」とあり、左には「為二世安樂」とある。その隣にあるのは元治元年(1864)6月の馬頭観音で、目視はできないが側面には願主原氏とあるようだ。

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少し離れたところにある角柱型の馬頭観音は文字塔。造立年は大正14年(1925)3月と新しいもの。側面には「願主 原吉蔵」とある。原家は野毛の旧家で多摩川の崖線一帯に多かった豊田、木村、原、田中、大平、粕谷などは室町時代は吉良氏の家臣だったが後に帰農したかつての武家だと言われる。世田谷区の一部が江戸時代になって井伊家の領地となってから井伊家を離れて帰農したのは旗本だった渡辺家の人々だったという記録もある。

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墓所の隅には寛政5年(1652)3月造立の宝篋印塔が立っていた。正面下部には「遠近村々施入 助力善男全女 当所念仏講中 寒念仏講中 助力当所若者中」とある。国分寺崖線沿いには縄文時代から人が生活を営んでいた痕跡が数多く残っている。それらに比べると300年~400年の歴史がつい最近のものに感じられて面白い。

場所  世田谷区野毛2丁目7-11

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