四葉観音堂(板橋区四葉)
四葉は江戸時代初期は徳丸村の一部だったが、正保年間(1644~1648)に徳丸村は3村に分かれその一つが四葉村となった。四葉村は南に前谷津川が東流し、その谷と台地の間の傾斜の大きな地域である。昔からあるという宮前坂を水車公園から上っていくとやがて稲荷神社に着くが、この稲荷神社が宮前坂の名前の由来である。
稲荷神社の西側にある墓所が四葉観音堂。安楽寺の支院として延宝8年(1680)に創建され、その後は真言宗の安楽寺、曹洞宗の松月院、日蓮宗の新倉の妙典寺が共同管理している。稲荷神社側の端にあるのが万延元年(1860)12月造立の笠付角柱型の庚申塔。正面には日月と「庚申塔」の文字、側面には年紀と「武州豊嶋郡四葉村講中」の文字がある。しかし裏面には大正13年(1924)5月の年紀も入っている。しかしどう見ても江戸時代のものである。台石には沢山の願主名が刻まれているが、正面にある線刻の三猿が印象的である。三猿の脇には「東 志むら 西 志らこ」とある。
墓所入口の脇には背の高い丸彫地蔵菩薩が立つ。造立年は享保8年(1723)1月。台石には、「東叡山領四ツ葉村 願主 橋本伊兵衛」「奉造立地蔵菩薩」「念仏講中五十人余 寒令佛志」と刻まれている。東叡山領というのは江戸時代の中期に四葉村が上野の東叡山寛永寺の所領になった時期のものだからか。
地蔵の近くには笠欠と思われる角柱型の供養塔が立っている。造立年は元文2年(1737)春彼岸とあり、西國坂東秩父百ヶ處…とあるので巡礼供養塔である。
場所 板橋区四葉2丁目19-2
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