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2021年5月24日 (月)

中尾観音堂の石仏(板橋区徳丸)

中尾観音堂か長谷津観音堂かの違いだが、大正時代の地図を見ると前谷津川沿いの低地の地名が長谷津(ながやつ)で、その南の台地上の地名が中尾(なこう)になっており、どっちの名前で呼ぶかの問題なのかもしれない。前谷津川は多くの支流を持ち、観音堂は不動通りの谷とその西隣の沢の間の舌状地に立つ。

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階段を上ると左手に庚申塔が並ぶが、観音堂手前右手には地蔵などの石仏が並んでいる。ここの石仏群はなかなか多彩である。5基が並んでいるが、一番左は舟型の地蔵菩薩立像。元文元年(1736)11月の造立で、尊像右に「奉供養地蔵尊」、左に年紀が記されている。下部には「武刕豊嶋郡徳丸村中尾道 講中十四人 願主 追川太郎…」とある。

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その右は珍しい六地蔵。それぞれの地蔵の足元に一二三三四五六とあるのも興味深い。側面にもいろいろ彫られているが読みにくいので資料を参考にすると、宝永2年(1705)10月の造立、「武刕徳丸之内中尾」とあり、施主追河太郎左衛門とあるがこれは追川の意だろう。中尾の地では追川家が有力だったようだ。

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右の3基は左から舟型の聖観音立像。造立は寛文11年(1671)2月で、「普眠四天下為度衆故」としかないので墓石ではなさそう。下部に願主名があるが読めない。隣りの舟型地蔵菩薩は寛延3年(1750)の造立。「智明童子」「法春童子」とあるので子供の墓石だったのだろうか。それぞれの没年月があるが後者の月が読み取れない。右端は延宝8年(1680)9月造立の丸彫地蔵菩薩像で、台石に戒名のような記載があるのでこれも墓石の可能性が高い。

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少し離れた墓地の中に大きな舟型光背型の聖観音菩薩があった。造立は寛文11年(1671)3月とある。これも墓石であるが、「追河市郎右衛門 為妙▢十七年菩提也」とあり、前述の追川家によって建てられたもののようである。ちなみに『いたばしの地名』によると、「崖下で中尾谷津と長谷津が出合う地形」、「中段の平地に中尾観音堂」、「境内には、中尾、長谷津、絶通と呼ばれた地域の旧家の名前を刻んだ庚申塔」という記載があり、崖下の長谷津、台地の中尾、さらに不動通りの谷を中尾谷津と呼いでいたようである。

場所  板橋区徳丸2丁目20-10

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