板橋区郷土資料館裏庭(板橋区赤塚)
郷土資料館の中庭には多くの石仏があり、裏手には旧田中家住宅が移管されている。江戸時代の典型的な農家建築でかつての武蔵野の農家の暮らしを見せてくれる。この古民家の裏手にも石仏が保存されている。
一番右の角柱には「稲荷大明神 御霊前」とあり、側面には享保17年(1732)の年紀があるが、どこの稲荷神社のものなのかは分からない。その手前の石仏は馬頭観音で文政13年(1830)7月の建立。側面には粕谷丹治郎の銘がある。中央の地蔵菩薩像は享保8年(1723)5月の造立で、「真入童子」の銘は無くなった子供だろうか、施主名は洲崎半左衛門とある。左はかなり傷んでいるが、宝永5年(1708)造立の聖観音菩薩像である。赤塚氷川神社にあったものらしいが、巣鴨村の銘がある。
その先に並ぶのは角柱型の馬頭観音。正面に「馬頭観世音」とあるが年紀等は不明。左の石柱は「大典紀念」と上に書かれ、その下には「右 成増停車場 左 赤塚村役場」という道標になっている。側面には大正4年(1915)の年紀。反対側には帝國在郷軍人會の銘がある。現在の都道長後赤塚線沿いにあったものだろう。同じような角柱が阿弥陀堂前の庚申塔の脇にあったのを思い出した。
左端近くにある不思議な塔型の庚申塔は珍しい。しかし板橋区の資料には載っていない。造立年等は分からない。正面下部に三猿がフォーメーションを組むように並んでいる。上部の穴は馬繋ぎ石だったのだろうか。その部分が折れて修復されている。ただ馬繋ぎ石としてはいささか大き過ぎる気もする。謎である。
場所 板橋区赤塚5丁目35-25
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