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2021年5月 4日 (火)

板橋区立郷土資料館中庭(板橋区赤塚)

赤塚城址の北側に板橋区の郷土資料館がある。多くの区の郷土資料館と同じく交通の便はよくない。しかしその分空いていてゆっくりと観覧することができる。そして資料館には行き場を失った石仏石塔が保管されることが多い。本来の場所にある意味は失われるのだが、破棄されるよりはありがたい。

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中庭には沢山の石仏石塔がある。まずはこの駒型庚申塔。日月、青面金剛像、二鶏、三猿がデザインされている。造立年は宝永元年(1704)11月。赤塚3丁目7の笹生宅で造園の際に、庭師によって持ち込まれたが、一体どこにあったものかは分からないらしい。

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こちらは自然石に彫られた馬頭観世音塔。造立年は文政3年(1820)2月とある。施主名は福嶌忠兵衛と書かれているが、他の石仏で福嶌姓はあまり見かけない。いったいどこにあったものだろうか。

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資料館の建物側にはいくつもの庚申塔が並んでいる。この駒型庚申塔は中央で中折れが補修されており、日月、青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿の図柄。右面には「奉造立庚申供養塔一▢  武州豊嶋郡奉造立為二世安楽 門前谷講中」とあり、左面には造立年部分が欠損、しかし12月というのは読める。下部には「峡田領 西臺村」とある。また両脇には道標が記されており、右には「南ハ 祢里ま 大山道」、左には「東ハ いたはし 江戸直(道の間違い)」とある。元あった場所は若木1-27というから、環八通りが地下から出てくる辺りだろう。

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その並びには面白い形の笠付角柱型の庚申塔。これも中折れ補修の跡がある。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、間壁伊右エ門の銘がある。右面には、「奉造立青面金剛為二世安楽也」、左面には享保8年(1723)2月の年紀と「武▢豊嶋郡上赤塚藪村 講中十二人」とある。区画整理前に不動滝前通り(鎌倉道と言われる)と峡田道の丁字路にあった。実は笠は他の石塔のものを合わせているらしい。左の石仏は不動明王像。宝暦10年(1760)1月の造立。元あった場所は徳丸5-4だというからおいせ坂の坂下の交差点辺りだろう。

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中庭最後は探していた庚申塔3基である。梶谷津の坂を書いた時に個人的に気に入っていたこの庚申塔が無くなったと書いたら、親切な匿名の方からコメントがあり、郷土資料館に移管されたということを知った。左の笠付角柱型の庚申塔は、元禄16年(1703)2月の造立で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。左面には「武州豊嶋郡下赤塚村同行七人」とある。中央は、変形舟型で文字塔に三猿が陽刻されている。造立年は貞享5年(1688)2月で、同修行者十二人と書かれている。側面には「武州豊嶋郡下赤塚村 寺家村」とあるが、なぜ修行なのかは不明。右の駒型庚申塔は、宝永7年(1710)仲春(2月)の造立。こちらも文字塔の株が三猿の陽刻になっており、「奉造立庚申塔爲二世安楽也」「武州豊嶋郡下赤塚村 十二人」と書かれている。今回は旧友と再会したような心持で拝見させていただいた。

場所  板橋区赤塚5丁目35-25

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