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2021年5月23日 (日)

中尾観音堂の庚申塔(板橋区徳丸)

前谷津川の右岸(南側)の台地は明治時代の地図では「中尾原(なこうのはら)」、大正時代は「原」、昭和に入ると「旧観音講」と地名表記が異なる。しかし中尾観音堂の別名は「長谷津(ながやつ)観音堂」という。どれがどの時代の地名なのかよく分からない。中尾観音堂は前谷津川の右岸の崖線にあり、目の前の坂はかなりの急坂である。

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観音堂も階段を上っていく。どこかの寺院に所属しているわけではない単独の観音堂である。江戸時代は徳丸村は徳丸本村と徳丸脇村に分かれており、ここは徳丸脇村である。その脇村の共同寺院が今も残っているわけである。階段をのぼり、観音堂の手前を左に回ると庚申塔のならんだ堂宇がある。

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どれも江戸時代中期の庚申塔である。左端は笠付角柱型の庚申塔で、安永7年(1710)2月の造立。笠は素朴なデザインで、日月、青面金剛像、二鶏、三猿が描かれている。右面には「奉造立庚申尊像二世安楽所」とあり、左面には年紀が刻まれている。下部に講中廿六人とあり、意外と人数が多い。

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その隣は駒型の庚申塔。日月、青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿の図柄で、邪鬼が派手に踏みつけられている。享保18年(1733)12月の造立で、「武刕豊嶋郡徳丸中尾村」の銘がある。「講中 十六人 願主 追川久兵衛」と書かれている。

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右から二番目の庚申塔は迫力あるデザイン。 造立年は宝暦2年(1752)11月。日月、青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿が描かれ、右面には「奉造立庚申尊像一軆」、左面には年紀と「武刕豊嶌郡徳丸村中尾  追川氏 講中 十五人」とある。一番右も駒型で、宝暦4年(1754)の造立。日月、青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿の図柄で、「武刕豊嶋郡徳丸村  絶通講中 十二人」とある。「絶通」は古い地名で、長谷津とほぼ同じ地域を指す。

場所  板橋区徳丸2丁目20-10

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