吉祥院の石仏(世田谷区鎌田)
吉祥院は大聖山地蔵寺という真言宗の寺院。奈良時代の天平12年(740)に行基が開祖となって創建し、良弁によって開山したと伝えられる。あまりに昔の話でピンとこないが、南北朝時代初期の建武2年(1335)に焼失、後に吉良氏が再興したが江戸期には寂れてしまい無住の時代が続いたが村人によって江戸時代中期に再興された。
江戸時代前期は荏原郡大蔵村と鎌田村が入り組んでいた。この辺りに多い石井家は鎌倉から派遣されてきた領主で、それまで支配者だった鎌田家との軋轢があったのかどうかは不明。石井家は大蔵村の中心的な家になり現在に至るが、鎌倉時代から室町時代の痕跡が住民の苗字に残っていることは興味深い。
本堂の左手に回り込むと墓所の入口に屋根付き堂があり、六地蔵と庚申塔がある。この六地蔵は寛政5年(1793)7月のもので、鎌田村惣念仏講中の銘がある。願主名には橋本姓が並んでいるが、この橋本姓はもともとは鎌田姓でいつからか改名して橋本としたようだが、橋本家ではもともと鎌田家であったことは口伝されているらしい。
六地蔵の後ろに控えるのは笠付角柱型の庚申塔である。総高は111㎝ある大きなもので、正面に青面金剛像、そして下部の三面にそれぞれ一猿が陽刻されている。左面には「奉造立庚申供養二世安楽所」、右面には武刕多摩郡世田谷領内鎌田村とあり、元禄3年(1690)10月の造立年が刻まれている。正面下部に彫られた願主名の半分は石井姓。六地蔵が殆ど橋本姓だったのに対してこちらは石井姓が主体で、講中にも家の関係があったのかどうか気になるところである。
場所 世田谷区鎌田4丁目11-18
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